毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今週は「SNS時代の朝ドラ」について。あなたはどのように観ましたか?
【前回】アンパンマンに救われた人々が描かれた今週。さすがの「コメディセンス」が光る3人の俳優
※本記事にはネタバレが含まれています。

9月26日、連続テレビ小説『あんぱん』が最終回を迎えた。
最終週で嵩(北村匠海)がアンパンマンのアニメ化を打診され、渋る嵩の背中をのぶ(今田美桜)が押し、とうとうアニメ化が実現する。
実際、「それいけ!アンパンマン」の放送開始・人気上昇を機に、アンパンマンの絵本も爆売れ、アンパンマンが大きく飛躍して、やなせたかしがますます多忙になるのはこの最終週以降。それに、多くの視聴者が思い浮かべる黒白赤のハデハデ原色のやなせたかしの姿も、妻が亡くなった後の最晩年のものだ。つまり『あんぱん』最終週がある意味、一番弱くて情けなくて誰より優しいヒーロー・アンパンマンの出発点で、ここに至るまでの物語はある種エピソードゼロ的なものでもあった。
その構造を際立たせたのが、脚本上の大きな改変である嵩とのぶの幼馴染設定だ。実際のやなせ夫妻は戦後に高知新聞社で出会っているが、ドラマでは子ども時代からのつながりとして描かれた。そのため二人の思いが通じるのは第17週、結婚も第18週に持ち越された。恋愛や結婚が即効性のカタルシスを生まないぶん、長年にわたる関係の必然性を浮かび上がらせ、二人が互いにとって唯一無二の存在であることが強調された。ちび嵩~本役・北村匠海のつぶやく「のぶちゃん......」のトーンには、幼い頃から最終回まで一貫して少しのテレと恋慕・尊敬の色味が感じられて、どんな場面でものぶを見ている視線が最後まで変わらず、最終話はそんな二人だけの芝居をたっぷり見せてくれたのも美しかった。
一方で、SNSを中心に大きな反響を呼んだのは蘭子(河合優実)をめぐるパートだった。蘭子が愛する人・豪(細田佳央太)を戦争で失い、その後八木(妻夫木聡)と心を通わせていく湿度の高い芝居は、朝ドラらしからぬ緊張感を生み、次第に独立した一編のドラマのような存在感を放っていった。八木も妻子を戦争で失っており、共に戦争による心の傷を抱く者同士が新たな人生を歩み始めるという意味でも、重要な役割ではあった。
物語内に別作品に見えるほど異質の要素が入り込み、局地的盛り上がりを見せるのは、本来あまりスマートではなく、作品の世界観を壊す危うさもある。しかし、豪華役者陣が入れ替わり立ち替わり場面を盛り上げ、SNSでの盛り上がりと相まって、数字も評判も良好だった結果を見ると、瞬間ごとに話題を生み出し、反響の大きなキャラをさらに推す『あんぱん』の作りは、SNS時代の朝ドラの一つの正解を示したとも言える。
何より『あんぱん』が2025年という年に放送された意味は、それだけではない。戦後80年の節目に制作された本作は、やなせが生涯を通じて掲げた反戦の思いを前面に打ち出した。脚本を手がけた中園ミホは、子どもの頃からやなせ本人と文通で交流していた縁を持つ。その彼女がこの題材を担ったこと自体、大きな必然に支えられていた。
また、戦争パートにこれほど長尺を割いた朝ドラは、過去にほとんど例がない。徴兵で戦地に送られる若者たちの不安と苦悩、空襲で焼け落ちる街、生き残った者が背負わざるを得ない痛みを真正面から描き出した。しかも、その軍国主義的価値観を主人公・のぶに担わせた点が画期的だった。のぶは信じてきた正義を時代の変化によって根底から覆される。戦争中の大多数が共有していた「正しさ」が戦後には全否定される――その転倒を、主人公自身が体験することによって、視聴者はより強く戦争の不条理を実感することになった。
もっとも、盛りだくさんの内容を詰め込んだ結果、人物ごとの掘り下げがやや薄くなった感は否めない。やなせ本人が実際に携わった編集、作詞、漫画、詩など多彩な活動のうち、漫画やアニメなどの創作現場はあまりじっくり描かれなかった。やなせの"仕事の物語"をもっと見たかったという声は多いはずだ。
加えて、興味深いのは、嵩が最晩年になってようやく、ずっと求めてきた母・登美子(松嶋菜々子)の愛を確信できたことだ。嵩にとって最も重要な二人の女性――母とのぶ――がドキンちゃんというキャラクターに投影されているという構造も見逃せない。
そして最終週、この戦争体験と個人的な葛藤が、作品の核心的なメッセージへと昇華される。アンパンマンを人気者に押し上げた敵キャラ・ばいきんまんが登場すると、蘭子がアンパンマンは相手が死なないように戦っているのではないかと問う。嵩は急所を外していると認め、「それが健康な社会だと思うから」と説明する。「人間の体の中にもいい菌ばい菌があって、バランスが取れている。ばい菌が絶滅すると人間も絶滅する。絶えず拮抗して戦ってるのが、健康な世の中だから」
この言葉を聞いたのぶは、かつて蘭子に言われた「みんなが同じものを見て、同じような発想をする世の中は危険や、そんなの嘘っぱちや」という言葉を思い出す。そして自分がかつて周りに流され、その色に染まってしまったことを振り返る。
これは、やなせたかしが著書『何のために生まれてきたの?』(PHP研究所)で語った言葉がもとになっていると思われる。やなせは「人間のお腹の中にも無数の菌がいて、この中にも良い菌と悪い菌がいる。そのバランスがちょうどいい具合に保たれている時が健康なんです」と説き、「反対派を全部やっつけてしまうと、ファシズムになる」「全体主義になってしまうと、その国家はいずれ滅亡していく」と警鐘を鳴らす。
アンパンマンとばいきんまんの永遠に続く戦いは、健全な社会の象徴なのだ。これは一見現代的なメッセージのようでいて、戦争を経験したやなせが到達した深い哲学である。全体主義に染まり、異なる意見を排除した結果としての戦争。その痛みを知る者だからこそ、「敵」の存在を完全に否定しない物語を紡いだ。
『あんぱん』は、戦後80年という節目に、戦争の記憶が薄れゆく時代に向けて、異なる価値観との共存の大切さを静かに、しかし力強く訴えかけた。それは子ども向けヒーローアニメの形を借りた、極めて成熟した社会哲学の表明だった。のぶの「嵩さんは、うちのアンパンマンや」という言葉には、そんな深い思想を体現した夫への敬意と、未来への希望が込められていたのだろう。
文/田幸和歌子




