「親だけは、ずっと元気だと思っていた」編集者の私が父の宣告で悟った、後悔しないための"心の予習"

「まさか自分の親が」「うちの家族だけは大丈夫」......。私たちは心のどこかで、親しい人の健康が永遠に続くものだと信じてしまいがちです。しかし、予期せぬ知らせはある日突然、前触れもなくやってきます。

編集者・立原亜矢子さんもそのひとりでした。実父に訪れた突然の病の宣告。動揺し、自分を責め、出口のない不安に陥った彼女を救ったのは、ある医師の意外な言葉でした。

立原さんの切実な実体験から生まれた一冊の本。そこには、病そのものへの知識だけでなく、支える側になった私たちがどう心に折り合いをつけるべきかという、深いヒントが隠されていました。

「親だけは、ずっと元気だと思っていた」編集者の私が父の宣告で悟った、後悔しないための"心の予習" お父様の病気をきっかけに「予習」が必要だと思ったとのこと.jpg

帰省を促した「胸騒ぎ」と、頑固一徹だった父の不自然な優しさ

――お父様の異変に気づいたのは、いつ頃のことでしょうか。

立原さん「一昨年のゴールデンウィークでした。実はその時期、茨城の実家に帰省する予定は全くなかったんです。結婚をした後親からは『盆と正月だけ顔を出せばいい』と言われていたこともあって。
それが、連休の少し前、母から電話があったんです。なんだか様子がそわそわしていて、『お父さんが風邪を引いて体調がずっと悪い』とか、電話をしても『急に病院に行かなきゃいけなくなったから後で連絡するね』とか。母の口から『病院』という単語が何度も出てくることに、嫌な予感がしたんです。
普段はそんなことは全く思わないのですが、なぜか『今年は絶対に帰った方がいい』という謎の胸騒ぎがして。それで4月下旬に1日だけ、急遽帰省することにしました」

――実際に帰省していかがでしたか?

立原さん「普段は母が迎えに来るのですが、その日は父が車で駅まで来ました。私の父は昭和のドラマに出てくるような頑固なタイプ。今の歳になっても、マニキュアを塗っていれば『今すぐ落としなさい』、髪を金髪に染めたら『不良だ、不謹慎だ』と怒る始末(笑)。また怒られるのかも、と思っていたら、父がいつもよりもずっと優しいんです。車に乗るなり、『話したいことがある。家についてから話す』と。その不自然な空気に、心臓がバクバクしました。
家に着くと、父は食卓の後ろにある棚から、サッと一枚の紙を差し出しました。先生の説明用のカルテのようなもので、そこには『すい臓がん』の文字がありました」

――その時、立原さんはどうされたのでしょうか。

立原さん「その瞬間、私はただ号泣することしかできませんでした。あんなに恐怖心や苛立ちを抱いていたのに不思議でしたね。父は『今ステージ3だ』と告げ、先生から聞いた説明を淡々と話してくれました。どうやら、4月の上旬にひどい風邪を引いて耳の調子が悪くなり、診て下さった耳鼻科の先生が異変に気づき、『紹介状を書くからすぐに大きな病院へ行ってください』と言われたのがきっかけだったそうです。父は頑固ですが、お医者様の言うことには従順な人で、すぐに紹介された病院へ行ったそうです」

――お父様の様子は...?

立原さん「『どうしよう、大丈夫なの?』と泣きじゃくる私に、父は驚くほど冷静でした。『泣いたってしょうがないだろう。なっちゃったものはしょうがないんだから、もう治していくしかないだろう』って。
父は一見、淡々と現実を受け入れているように見えました。でも実は、自分の部屋でがんの本を山のように読み漁っていたんです。そして『俺にはもう時間がないんだ」と、余命に関して寂しそうに何度も口にしていました。家族の前では強くあろうとしながらも、恐怖と必死に向き合っていたのでしょう」

母は動揺してひたすらクロスワードパズルをしていた

――お母さまや、ご家族の様子はいかがでしたか?

立原さん「家の中は一気に混乱状態になりました。特に母の動揺は激しかったです。心配症な母は、ショックのあまり夜も眠れず、『一緒に寝てほしい』と言われて横に並んで寝たのですが、暗闇の中、母がずっと枕元でクロスワードパズルをやっているんですよ。でも、パニックで『言葉が浮かばない』と言って、パズルを鉛筆でぐちゃぐちゃに塗りつぶし始めて......。気が動転している母の姿を見るのは、本当に辛かったですね。
父に対しては、父が一番辛いのに、泣いてはいけない、変に励ましても父は嫌だろう......と、どう接していいか全くわからなくなりました」

――ごきょうだいとはどのような会話をされましたか。

立原さん「うちは4人きょうだいで私が長女、下に弟が3人います。でも、いざという時にどうするかは全く決まっていない状況でした。みんな家を出ていますから、実家には母がひとりになってしまう。混乱とショックの中で、『もしものことがあったら、急いでどうするか整理しなきゃ』という現実がドドドドッと押し寄せてくる。本当に混乱していましたね」

――長女として「自分がしっかりしなくては」というプレッシャーも大きかったのではないでしょうか。

立原さん「そうですね。ただ、気持ちだけが先行して何もできていなかった気がします。気が動転していたのは当然ですがまずは病気について必死に調べまくりました。でも、ネットで検索すればするほど、不安な気持ちになる記事ばかりが目に留まるんです。
『短命』『不治の病』など死をイメージする言葉だらけと言いますか。何が正しい情報なのか、この調べ方で合っているのかも分からず、ただただ困惑し、迷走していました。
正直、誰かに『大丈夫だよ』と言ってほしかったし、背中をさすってほしかった。でも現実は重く、母は『私の食事管理がよくなかったのでは』と自分を責め、私は『もっと父にちゃんと向き合えていれば』と後悔の念ばかりが押し寄せました。家族全員が『自分が父を病気にした原因を作ったのかもしれない』と思っている状態で、出口のない迷路に迷い込んだようでした」

「運なのかもしれない」と割り切ることで見えた光

――混乱と自責の迷路のなかにいた立原さんが、どうやって前を向かれたのでしょうか。

立原さん「どん底にいた私を救ってくれたのは、仲野徹先生の著書『こわいもの知らずの病理学講義』でした。その本に、『がんは運である』という主旨の一文があったんです。それまでの私は、『何が悪かったんだろう』『もっとこうしていれば』と、過去の自分や家族の行動にばかり原因を求めて、責め続けていました。でも、仲野先生の言葉に触れた瞬間、ふっと肩の力が抜けて、呼吸がしやすくなったのを覚えています」

「親だけは、ずっと元気だと思っていた」編集者の私が父の宣告で悟った、後悔しないための"心の予習" 仲野徹先生.jpg

『がんは運である? 自分事として向き合うための手控え帖』の著者・仲野徹先生

――「運」という言葉が救ってくれたのですね。意外な気がしてしまいます。

立原さん「そうかもしれませんね。母や家族は、父ががんになったことで自分を責め続けていたのですが、日本人の2人に1人ががんになる(※)時代なわけです。確かに『運なのかもしれない』と腑に落ちて、それならば、もう自分を責める必要はない。起きてしまったことは受け入れよう、と思えたことで、ようやく腹が据わりました。

そして『だったら、今私にできる最善のことはなんだろう?』と、具体的な治療のスケジュールや家族のサポートに、初めて冷静に目を向けられるようになったんです。今、私の父は手術を乗り越え、穏やかに過ごしています」

※厚生労働省HPよりhttps://www.mhlw.go.jp/stf/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/202106_00001.html

「私と同じように苦しむ人を救いたい」編集者としての執念
健康な「今」だからこそ、あえて目を通してほしい理由

――実体験が、書籍『がんは運である? 自分事として向き合うための手控え帖 』を作るきっかけになったのですね。

立原さん「そうです。実は以前から仲野先生の語り口や高い専門性が大好きで、何度も執筆をお願いしては振られ続けていたんです(笑)。でも、先生に『私と同じように、身近な人や大切な人の病に戸惑い、自分を責め、孤独を感じている家族が世の中にはたくさんいます。その人たちの心の拠り所になるような本を、先生に書いてほしいんです』とお願いしました。最初は内容的に難しいと断られたのですが、思いを伝え続けて、ようやく『分かりました、書きましょう』と言ってくださいました」

「親だけは、ずっと元気だと思っていた」編集者の私が父の宣告で悟った、後悔しないための"心の予習" 本の編集を手掛けた立原さん.jpg

本の編集を手掛けた編集者・立原亜矢子さん

――どういった方に読んでいただきたいですか?

立原さん「私にとって父はいつでも元気でちょっぴり怖い存在でしたから、まさか病気になるなんて思っていなかったんです。いま60代だからあと20年は元気だろう、なんて思い込んでいたんですよね。
『親はいつまでも元気だ』という幻想の中にいるうちは、病に関する情報は素通りしてしまいます。でも、本当に心強いお守りは、嵐が来てから探すものではありません。凪(なぎ)のうちに、あらかじめ手に入れておくべきものだと自分自身が思い知りました。ですので、親や自身が元気であると思い込んでいる人にこそ読んでいただきたいです。
仲野先生もこの本に『いつかがんと向き合う時、それが自分か、大切な誰かかはわかりません。少しでも落ちついて考えられるように。大きな不安に飲み込まれそうな時に、正しい情報に基づいて一歩を踏み出せるように。その手助けができるなら、これ以上の喜びはありませんと書いてくださっています。
父ががんになる前に、自分がこのような本に出会えていればもっと早く前を向いていたのに、と思うほどです。私の編集した一冊が、誰かの背中を優しくさするような存在になれば、編集者としてこれ以上の喜びはありません」

 
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『がんは運である? 自分事として向き合うための手控え帖』

(仲野 徹/KADOKAWA)

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病理学の第一人者が、最新医学から自身の家族体験までをユーモアたっぷりに綴った、「怖れ」を「知恵」に変えるための一冊

仲野 徹

1957 年大阪・千林生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学医学部講師、大阪大学微生物病研究所教授を経て、2004 年から大阪大学大学院医学系研究科病理学教授。2022 年に退官。2012年日本医師会医学賞を受賞。著書こわいもの知らずの病理学講義 (晶文社)がベストセラーに

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