【どうする家康】こんな時代だからこそ生まれた「新たな家康」。彼が描いた「夢」が現代に響く見事な演出

【前回】巨大化した家康の「本当の姿」とは...かつての「兄」に見せた涙と、第1話からの見事な伏線回収

日本史上の人物の波乱万丈な生涯を描くNHK大河ドラマ。今年は、松本潤さんが戦国乱世に終止符を打った天下人・徳川家康を演じています。毎日が発見ネットでは、エンタメライター・太田サトルさんに毎月の放送を振り返っていただく連載をお届けしています。最終回の今回は「家康が見た夢」についてお届けします。

※本記事にはネタバレが含まれています。

【どうする家康】こんな時代だからこそ生まれた「新たな家康」。彼が描いた「夢」が現代に響く見事な演出 morita_12@.jpg

イラスト/森田 伸

松本潤主演のNHK大河ドラマ「どうする家康」。本作は戦国の世を終わらせ江戸幕府を築いた徳川家康の生涯を、古沢良太が新たな視点で描く作品だ。本記事では12月放送分、最終回までを振り返る。

それは、1年の歳月をかけて視聴者とともに見た、家康の夢だったのだろうか。

12月17日、最終回「神の君へ」が放送された。

関ヶ原の戦い・大阪の陣が終わり、訪れた「天下泰平、戦なき安寧の世」。長き乱世の時代の終焉とともに、戦い続けた家康も、その生涯を閉じるときが近づく。

一人静かに何かの動物の像を彫る家康。
「......もう出て行ってもええかしら」
突然扉を開けて入ってきたのは、正妻・瀬名(有村架純)と息子・信康(細田 佳央太)。悲しい別れを遂げたはずの2人が笑顔で家康の前に現れる。戦なき世をついに成し遂げた家康を、2人は笑顔でねぎらう。しかし、家康は苦悩の表情で自問する。自分の生涯でしたことはただの人殺し、望まないこと、したくないことの連続だったと。

そこに、孫の家光が、「うまく描けた」と一枚の絵を届ける。そこに描かれていたのは、白兎。この兎の絵、近年京都で見つかった家光の「兎図」をもとにしたものと思われるが、この「兎図」に似たものを幼いころの家光が描いていたという粋な演出。ここにきて第1話から描かれてきた「家康の本質は白兎」という描写が繋がることとなる。

「存外、見抜かれているかもしれませんな」
瀬名の言葉がそれを裏付ける。家康は皆に恐れられる狡猾な狸でもなく、神でもない、心優しい白兎であると。大阪の陣で、秀頼(作間龍斗)に嫁がせた愛する孫・千姫(原菜乃華)がいる大阪城に向け、家康は非情にも大筒を放った。「こんなの戦ではない!」と、それを止めようと涙ながらに訴える秀忠(森崎ウィン)に家康は冷徹に言った。
「これが戦じゃ......この世で最も愚かで、醜い、人の所業じゃ......!」

世界中で大きな争いが続く今こそ、この言葉が強く響く。戦なき世の実現のために戦を続けるという矛盾をはらむ運命を背負い続けた家康。
「信長と秀吉と同じ地獄を背負いあの世へ行く。それは最後の務めじゃ」

その先の世の中のために、自分がすべての罪を背負うという悲壮な決意とともに生涯を終えるつもりだったのかもしれない。

<人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し>

最終回の冒頭にも掲げられた、家康の遺訓である。瀬名が求めた「戦なき世」のため、白兎は戦乱の業という重荷を一人で背負った。その重荷は、瀬名と信康の幻影によってようやく浄化されたのかもしれない。

その刹那、場面は変わり、そこに現れたのは、頼りない「殿」を支え続け、一緒に苦楽をともにした三河家臣団たち。しかも皆若々しい姿で。弱いけれども優しい白兎の「殿」を支えるチーム感、ファミリー感は、それぞれのキャラクター性とともに強い愛着を生み、その別れも惜しまれた家臣たち。

もうこの世にはいない瀬名、信康、家臣たち......物語から退場し、もう会うことはかなわないはずの面々がもう一度登場、我々視聴者の"ロス"を一気に吹き飛ばすがごとく、もう一度会わせてくれた。そういえば家康も若々しくだけどまだ頼りない姿に戻っている。それはさながらカーテンコールのごとく。あざやかな古沢マジックを見せつけられたようだった。

前記した老いた家康が瀬名たちが登場する場面で彫っていた動物、それは「獏」だと見受けられる。悪夢を食べるとされたり、吉夢をもたらすとされる動物である。獏は日光と久能山の東照宮にその彫刻が存在し、家康との関りは深い。

しかも獏は、武器を作るための鉄や銅も食べることから、平和の象徴ともされている。「戦なき世」という大きなテーマを締め括るためのアイコンとして用いられた獏の説得力。白兎の絵による回収もあわせて、夢、または走馬灯のような世界、しかも全員が笑顔で「えびすくい」を歌って踊るというハッピーエンド的空気で戦乱の世を締めくくらせたたのは、まさに笑顔のキャスト勢揃いのカーテンコール! 見事としか言いようがない。

果たしてこれは回想シーンなのか、重荷を下ろし、天に召される家康が見た最後の夢なのか。もしかしたら、「どうする家康」という1年にわたり描かれた物語すべてが、獏がもたらせた「夢」の世界の演出によるものだったりするのかもしれない。そんな妄想まで膨らんだりした。

「わしが成したいのは、今日この日のような世かもしれんな」
若き家康は、えびすくいを笑顔で踊る面々を眺めながら、しみじみ幸せを噛み締めるように瀬名にそう言った。

とどめにもうひとつ、驚かされた。
「わしは信じるぞ、いつかきっと、そんな世がくると」

ラストシーン、希望に満ちた目で家康と瀬名が見つめるその先に広がるのは、東京タワーや高層ビル群、現代の東京(江戸)の姿。最後の最後まで驚きの演出が満載だった。

世界中が混迷に満ちた2023年という時代だからこそ生まれた「新たな家康像」を描き切った大河ドラマ「どうする家康」。家康が成そうとした、成した世とはどんなものだったか。そのメッセージを多くの人が受け止ることができれば、それは夢物語の世界ではなくなる。そんな気がする。

文/太田サトル
 

太田サトル
ライター。週刊誌やウェブサイトで、エンタメ関係のコラムやインタビューを中心に執筆。

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