毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「ツヤの夢と、りんの『間違い』」について。あなたはどのように観ましたか?
【前回】女性は結婚、男性は出世? 社会が与えた「ゴール」を問い直す第12週から、いまを考える
※本記事にはネタバレが含まれています。

田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』。第13週「白日の夢」は、看病婦のツヤ(東野絢香)に大きくスポットが当たり、ツヤの存在を軸に、看護婦と看病婦、そして医師との関係性、新たな生徒たちの登場を通して、りん(見上愛)たちのあらたなステージが描かれた。
バーンズ(エマ・ハワード)が帰国し、りんたちの帝都医大病院での看護婦としての新たな日々が始まった。りん、直美(上坂樹里)、多江(生田絵梨花)、トメ(原嶋凛)、まばゆいばかりの新しい白衣に袖を通し「しぶとく残った」4人には、あらためて看護婦取締という役割が与えられた。看病婦や帝都医大病院看護科の生徒たちの上に立つ存在ということだ。
「来年の卒業までに一人前の看護婦にしてほしい」
院長の多田(筒井道隆)は言う。そもそも看護とは何なのか、それすらよくわからずバーンズのもとに集まったりんたちが、新たな看護婦志望の女性たちの指導をしていく。なんとも大きな成長を感じる扱いだ。
とはいえ、希望に燃えて入学してきた新入生たちは、指導をつとめるのがりんたちと紹介され、一瞬のためらいをみせる。西洋式の看護を学べると聞いていたのに、日本人のしかも若い女性が教師だというからだ。
「精一杯つとめます」
と殊勝な雰囲気のりんに対し、
<私たちはナイチンゲール式の看護を学んだ看護婦です>
と流暢な英語で返すことで半信半疑な生徒を沈黙させる勝ち気な直美というコントラストは痛快。看護をしながら生徒の指導をし、看病婦の管理もおこなうのは物理的に大変だが、
「どうせならこの立場、うまく使ってやろうじゃない」
としたたかな面を見せ、さらには、医師の指図には従うが、
「部下ではありませんので」
と言い切る直美の強さは清々しい。
「私に看護婦の勉強をさせてください」
そんなある日、ツヤがりんへと強く訴えかける。ツヤが言うには自分は子どもができず離縁され、その後生きるために看病婦になったが、看護婦たちは「看護がしたい」という思いで看護をしている。そんな看護婦の仕事ぶりをみるうち看護婦を目指したくなったのだという。それを聞いたりんは、自室の行李から一冊の本を取り出し、
「ツヤさんが看護婦になれば、看病婦の希望になります」
と、ツヤに手渡した。『看護婦とは何か』、ナイチンゲールの本を一部訳したものだ。先生としてのりんの初々しさと張り切りぶりが垣間見える。
この作品を見るうえでの大きな要素、看護婦ではない「看病婦」という現在では耳慣れない存在とは何なのか。
本作は、職業としての看護婦〝トレインドナース〟となる二人の奮闘を描くものである。看病婦とは、看護の教育を受けず、〝金のために汚い仕事も厭わず、時には命まで差し出す職業〟という、「職業」として確立されたものではない、なんとも不合理な存在だった。「職業夫人」という言葉が誕生するのは大正時代に入ってから。そもそも女性が社会で働くこと自体が難しく理解も低い時代である。
ドラマの原案を担う田中ひかるは、雑誌『看護教育』のインタビューでこう語っている。
「当時の日本では、そもそも女性が職業に就くこと自体が珍しく、女性が『ものを言う』ことはあり得なかったのです。医師は、看病婦はもちろん、看護婦のことも医師の手足にすぎないと当然のように考えていました」
ドラマのモデルとなった二人の看護婦は、医学と看護は車の両輪、別の役割を持ちつつも補い合う存在、対等な存在だと信じ、誇りをもって看護という職業につとめたという。
長屋のトヨ(松金よね子)が倒れたときのやりとりは印象的だ。かけつけた直美が看病してくれることにトヨは喜ぶが、直美は自分は診断はできないから明日診てもらうよううながす。看護婦と医師は車の両輪である。しかし、トヨはこう返したのだった。
「そんなお金があったら こんなしみったれた長屋にいないよ」
看護と治療という問題以前に、社会の仕組みという問題が大きくそこには存在することを突きつけられる一言である。
りんは、生徒たちに講義で語っていた、
「人は間違いを犯すものです。間違いにともに気づけるよう仲間と仕事をするのも大切です」
さて、看病婦の仕事をこなしながら看護科の授業にも参加し、もともと読み書きもままならないところから努力を重ねるツヤだが、久しぶりに帝都医大を訪れその様子を見た、りんたちのかつての同期・喜代(菊池亜希子)は、
「ツヤさんのこと、少しだけ気をつけてあげて」
と、りんに忠告する。
「看護科の生徒とも、看病婦とも看護婦とも違う。がんばってるけど少し苦しそうで」
喜代の心配は現実のものとなる。
疲れのためか、ツヤは患者への解熱剤の投与をうっかり忘れてしまい、患者の容態を悪化させてしまう。これが問題視され、ツヤの解雇が決まった。ツヤ本人ばかりでなく、りんの指導力についても指摘を受ける。
その説明を聞いていた直美は、院長の多田に、ツヤたち看病婦たちの事情、そしてりんがツヤの負担を減らそうとすればツヤの給金が減ってしまうという現状をもとに詰め寄る。
「貧しい人が看護婦になってまっとうに生きていこうとするのに、どうしたら助けられるんですか?」
多田は冷静に直美に説明する。直美の指摘の根底にあるのは貧困、そしてそれは、社会の仕組みを変えるしかなく、大学病院の仕事ではないと。そしてりんは、
「一ノ瀬先生も間違えたんじゃないですか? ツヤさんのこと助けられたのは先生だけだったのに」
と、生徒に、前述した講義での言葉も引き合いにされ指摘されてしまう。それらを受けて、りんは頭を下げた、
「私、間違えてしまいました......ごめんなさい」
結婚をはじめ、りんが序盤に何度も口にしてきた「間違えた」という言葉がここでまた登場した。りんは、また間違えたのだろうか。ツヤが最後にまたがんばって勉強して看護婦を目指してみると言った言葉、そして、
「だって、一ノ瀬さんたちより長くここで働いてきたんですから」
と笑顔で言ったことに、「看病婦」としてのプライドを感じられたことに救われたような気持ちとなった。実務経験を重ねた看病婦たちが教育を受けていないことで認められない社会の終焉は、ほどなく訪れるにちがいない。
内科の重症病室に入院する清(細川岳)のもとを訪れ登場した吾郎(甲斐翔真)が、見舞いのぼた餅を直美に厳しく却下されたことから、
「女ならもっと優しく言い方ってもんが」
「優しい暴力になります」
「患者さんを思うのに男も女も関係ありません」
というやりとりを重ねたあと、
「がっばい偉そうな尼さんばい」と悪態をついて清に尼さんじゃなく看護婦だと訂正される。いっぽうの直美はプリプリしながら「なんなのあの芋男」と口をとがらせる。いわゆる「最悪の出会い」のような二人には、この先何かが起こりそうで、重い展開の中気になるポイントだ。
そして、シマケン(佐野晶哉)は新しい小説「浮世の翼」を書き上げた。
「熱にうなされたときの夢に似ている」
と語る作品は、りんをイメージした登場人物が活躍する内容と思われる。シマケンの思いの中で描かれていくりん。
シマケンの思いは、きわめてわかりやすさを出しながらも当の本人であるりんに届いていないところが、直美と吾郎と同じく正統派ラブコメのようでこれまた微笑ましい関係だ。
「手強いですよ、りんは。相当にぶいから。健闘をお祈りします」
いたずらそうに笑う直美の表情も印象的だ。
「あるいはまだ夢の中かもしれない」
シマケンが原稿用紙にゆだねた「夢」、これはサブタイトル「白日の夢」に通じるものなのだろうか。
ツヤの夢は、白日に見たはかない夢のようにいったん消えてしまったのかもしれない。シマケンの夢はどうなっていくだろうか。
文/田幸和歌子




