【風、薫る】女性は結婚、男性は出世? 社会が与えた「ゴール」を問い直す第12週から、いまを考える

毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「登場人物たちが選び取った、それぞれの『あがり』」について。あなたはどのように観ましたか?

【前回】りん・直美・シマケン、3人それぞれの「助ける」という行為。別々の角度から響く「助けたい」の正体

※本記事にはネタバレが含まれています。

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田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』。第12週「旅立ち」は、教師バーンズ(エマ・ハワード)との別れを描く一週となった。

バーンズの帰国には事情がある。卒業生を引き受けるはずだった帝都医大病院が、院長・多田(筒井道隆)の方針転換で院内に独自の看護科を新設すると決め、当初の話は白紙に戻った。実習と就職の受け皿を失った養成所は立ち行かなくなり、バーンズも、スコットランドで看護を教えるために日本を去ることになる。

見習生たちに「夢」を託して旅立つこの週は、女が職業を持つという新しい夢を、社会がいかに支えきれないかをあらわにした。そして、社会が一人ひとりに用意する「あがり」を、登場人物たちが問い直す週でもあった。女には結婚、貧しい家に生まれた男には出世。用意されるゴールは、たいてい一つきりだ。

帰国を前にしたバーンズは、見習生たちに「夢」という言葉を手渡す。将来やりたいこと、なりたい状態のこと。そう松井(玄理)が訳し添える場面に、はっとさせられた。いまでは当たり前のこの言葉も、「社会」と同じく、かつての日本にはなく、この時代に外から入ってきて根づいた概念だ。自分の将来を「夢」として思い描くこと自体が、当時は新しかった。バーンズ自身、幼い頃の夢はアップルパイを満腹になるまで食べることだったが、やがて、看護婦のいない日本でその担い手を一から育て、彼女たちが日本中の病院に当たり前にいる未来を夢に変えた。「夢を見るのは楽しいですが、かなえようとすると苦しいものです」と言い、「六つの種をまけた」と告げて去っていく。

その「夢」の重さは、彼女が立たされた状況が裏打ちしている。週の頭、バーンズは大山捨松(多部未華子)を訪ね、自分は看護婦を育てられなかったようだ、と打ち明けていた。病院が当初の受け入れを撤回したいま、卒業生が働ける道は、制度としてはどこにもない。それでも卒業生が帝都医大病院で働けるよう段取りをつけたのは、バーンズが捨松や勝海舟(片岡鶴太郎)、侯爵夫人・千佳子(仲間由紀恵)といった有力者に一人ずつ頭を下げてまわった結果だった。女の専門教育も、その先の働き口も、一人の外国人教師の献身と、ごく少数の有力者の温情にぶら下がっている。実は、養成所のモデルとなった桜井女学校附属看護婦養成所も、実習先の病院を持たないまま、開校から二年足らずで閉じている。看護という女の職業が社会に根づくには、ほど遠い時代だった。

その脆い土台の上で、「夢」を託された見習生たちは、それぞれ違う道を選ぶ。

考えさせられるのが、しのぶの選択だ。ナース服に憧れて入った彼女は、いつしか本気で看護婦になりたいと願うようになっていた。それでも、看護婦になるのをやめると告げる。理由は、看護婦を続ける妻を認めてくれる男性が見つからないから。だから結婚し、家庭や近所の人のために看護を活かす、と。本気で抱いた職業の夢を、結婚という別の道のために手放さざるをえない。女に用意された「あがり」が結婚しかないことの、重さである。喜代(菊池亜希子)は、看護を仕事として割り切れないと語り、伝道者の道を選ぶ。夢を手放したのではなく、看護を別の使命へつなぎ替える選択だ。対して、職業として歩み続けるりん(見上愛)と直美(上坂樹里)もいる。同じ「夢を託された」言葉が、結婚に押し戻される者、別の使命へ向かう者、現場に踏みとどまる者へと、それぞれの道を分けていく。

一度もそろって休めなかった彼女たちが、しのぶの「みんなでお出かけしたい」という願いをかなえようと横浜へ向かう一幕もあった。だが道中で人が倒れ、一行はとっさに看護へ回り、お出かけは流れる。休みの日にも看護婦であることをやめられないその姿は、これから始まる職業人生の前ぶれのようでもあった。

卒業式には、途中で養成所を去ったゆき(中井友望)も駆けつけ、バーンズとゆきが焼いたアップルパイを分け合い、「蛍の光」で別れを惜しんだ。バーンズが残した『NOTES ON NURSING』には、こんな書き込みがある。「看護とは何か。問われているのは、私自身である」。教える側のバーンズもまた、答えの出ない問いの途上にいた。

もう一つの「あがり」を背負って現れるのが、りんの幼なじみ・虎太郎(小林虎之介)だ。別人のようなスーツ姿で訪ねてきた彼は、東京の製薬会社で給仕から始め、社員にまでなったという。「東京は努力した分だけ自分の力で上にあがれる。勝負するなら東京に出ないと」と語る姿は、かつての素朴な虎太郎とは違う。だが、その上昇志向は、彼一人の野心というより、生まれた環境が背負わせたものでもある。どれだけ田畑を耕しても暮らしは豊かにならず、村を離れなければ何も変わらない。そういう家に生まれた者にとって、「上に行く」ことは、生き延びるための切実な目標なのだ。

その虎太郎が、団子屋でシマケンこと島田健次郎(佐野晶哉)と出くわす。「医療にかかわる薬で世の中の役に立ちたい」と、どこか張り合うように語る虎太郎に、小説家を志すシマケンは「ご立派ですね」と返す。なりたいものを最初から選べ、必死にならずとも生きていけるシマケンとは、立っている場所がまるで違う。その悪意のない一言が、かえって虎太郎を傷つける。興味深いのは、二人のあいだにいるりんが、もう勝ち負けや上下で物を考えていないことだ。人の生き死にに向き合う看護の日々と、「役に立つかどうか」のものさしの外で生きるシマケンとの出会いが、彼女の価値観を変えていた。「俺、絶対出世するから」と宣言する虎太郎の言葉は、いまのりんには以前のようには響かない。努力で上にのぼるほど、二人の距離は開いていきそうだ。

妹・安に「虎太郎のことはもういいのか」と問われたとき、りんは言う。私にはきっと違う「あがり」がある、そう思えるのは安がいてくれたから、と。社会は、女には結婚を、貧しい家の男には出世を、ただ一つのゴールとして差し出す。りんが手にしかけているのは、そのどちらでもない道だ。

では、その一つきりのものさしは、過去のものになったのか。内閣府の男女共同参画社会に関する世論調査(令和6年9月)によれば、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という考えに反対する人は64.8%。裏を返せば、いまも三人に一人ほどは、この役割分担を否定しきれずにいる。賛成する人が理由の筆頭に挙げたのは、「育児・介護・家事と両立しながら、妻が働き続けることは大変だと思うから」(61.3%)だった。働き続ける負担を理由に、女が仕事のほうをあきらめる。しのぶが迫られた二者択一は、形を変えて令和にも続いているのではないだろうか。世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数2025で、日本は148カ国中118位、G7では最下位のままだ。

バーンズが種をまいてから一世紀半。「旅立ち」の週、それぞれの登場人物が、自分のゴールを抱えて歩き出した。結婚へ向かう者、出世を急ぐ者、別の使命を見つけた者、そして、まだ名前のない「違うあがり」を探す者。どれが正解という話ではない。問われているのは、一人ひとりがどんな道を選べるのか、その選択肢を社会がどれだけ用意できているのか、ということだ。まかれた種を根づく土へと育てられるかどうかは、明治の養成所を遠く離れて、いまを生きる私たちにも手渡されている。

文/田幸和歌子

 

田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。

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