作家・佐藤愛子さんインタビュー(2)「今の日本人は、かつてなかったくらい依存症ですよ」

1804p019_01.jpg近頃は平均寿命が年々延び、「人生100年時代」も間近。そんな時代に、心は前向き、体は健康に日々暮らしていくためにはどうすればいいのでしょうか? そのヒントを探るべく、佐藤愛子さんにお話を伺いました。作家として活躍し、唯一無二の生き方をしている佐藤さんから、生き方や暮らし方に取り入れたい「元気の法則」を教えてもらいました。

前の記事「作家・佐藤愛子さんインタビュー(1)「"何のために生きるのかなんて考えなくていい!」」はこちら。

 

物質主義、合理主義になって日本人は精神性を失った

「いまの日本人は、かつてなかったくらい依存症ですよ。ちょっと痛ければすぐに病院。すぐに人の考えに頼る。戦後、子どもに食べさすものが何もなくて、国は何一つ守ってくれなかったけれど、それぞれの人が知恵を総動員して見事に生き抜いてきた。貧しくて人の面倒なんか見られなかったけれど、お互いを心配する義理人情がありました。

それがいまは、依存症に加えて政治から何から、全て損得です。王や長嶋が活躍していた時代は、年俸なんて話題にならなかった。いまは、高校生からお金の話。ビットコインだって、何のために必要なんですかね。働かないで居ながらにしてもうけるということがいいことなのか。私にはわかりません。

戦後、アメリカ文化が入ってきて、日本は物質主義、合理主義に変わってしまった。合理主義は人の情を抹殺します。
日本人はもっと精神性の高い民族だったはずなのに、いまは、"精神"という言葉を使う人すらいなくなりました。物質主義、合理主義の若い人たちが子どもを育てれば、その子どもも、当然、同じ考え方になる。そうやって時代は変わっていくものなのね」

 

腹立ち紛れに書いた小説で直木賞を受賞

「私がものを書くようになったいきさつは、もう、嫌というほど紹介されていますけれど、最初に結婚した夫が戦地で治療のためにモルヒネ中毒になり、離婚をしたからなんです。
ところが私は、働くといっても何もできない。全くののらくらでしたからね。当時は戦争に負けて、男性でも職業がない時代ですから、学歴も何もない、主婦のなりそこないができることって何もなかったんですよ。勤めりゃすぐにけんかをして辞めるだろうし、再婚すればすぐ別れてくるだろうと心配していた母が、ある時、私が父に送った手紙のことを思い出したんです。

姑の悪口を書いた手紙でしたが、それを読んだ父は、『普通なら悪口を書くと陰々滅々とするものだが、これは実に面白い。婆さん(姑)が活写されている。愛子は才能があった。嫁にやるんじゃなかった』と言ったそうです。

 

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佐藤さんのお宅に飾られている写真。
左は父・紅緑(こうろく)さんと佐藤さん姉妹。右の津軽塗の写真立ては母・シナさん。

父も、いろんな新聞社に勤めてはけんかをして辞め、政党や俳句研究会をつくったりしましたが、最後は小説を書くことで一家を成した。

『お前はお父さんにそっくりだから、一人でやれる小説しか向いている仕事はない』と母に言われ、私は小説を書くことにしたんだけど、でも小説好きとか、文学への傾倒があったわけじゃないんです。何も分からないままに、小説らしいものを書いて、『文藝首都』という同人雑誌があるのを知って、そこで勉強するつもりで加入した。それが始まりです。

誰からも認めてもらえず、ただ書くだけ。それが10年くらい。そのうちに少女小説を掲載してくれる文芸誌が出てきましてね。私の分身みたいな変な奴を登場させて主人公にすれば、結構面白おかしく読んでもらえたの。

当時は富島健夫(※1)とか、川上宗薫(※2)とかがいてね。相撲の番付で言えば、私は小結あたり。でも、原稿料は1枚500円。そんな時に夫の会社が倒産。返すあてもないのに、債権者から迫られると、面倒くさくなって、肩代わりのハンを押してしまう。ヤケクソですよ。先のことは考えないで勢いで引き受けてしまった。夫は逃げてどこにいるか分からない。腹立ち紛れに書いた小説で直木賞を受賞し、やっと作家としてスタートできたんです。借金も返せました。運がいいのか悪いのか、よく分からないですね」

※1:とみしま たけお。1931年生まれの作家。純文学、青春小説、官能小説、エッセイなど著作多数。1998年没
※2:かわかみ そうくん。1924年生まれの作家。芥川賞候補に計5回あがったが受賞を逃す。その後、官能小説を多数執筆。1985年没

 

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1969年、借金返済に奮闘する自らをモデルとした小説『戦いすんで日が暮れて』で直木賞受賞。

 

人生がひっくり返った北海道の別荘での体験

「それで一応、生活は安定したんだけれど、よせばいいのに北海道の隔地に別荘を建てたのが始まりで、そこからまた私の人生をひっくり返すような経験をするようになったんです。このことは『私の遺言』(新潮文庫)という本になっていますが、つまりそれまで考えたこともなかったような"人間の死後"について、向き合わざるを得ない事態になったんです。"肉体は滅びても魂は永遠に存在する。死後は無になるわけじゃないということを信じざるを得なくなった。

つまり、私が別荘を建てた土地は、アイヌ民族が怨みを呑んで、虐殺された集落の跡地だったのです。その怨霊に日々悩まされるようになって、それを鎮めるのに20年かかったのですが、その経験のおかげで私の人生は変わったように思うんです。金欲、物欲、名声欲とか、そんなのナンボのもんじゃいと思えるようになって、心が安定しました」

 

霊の世界の真実を描く小説を『小説新潮』に連載中

佐藤さんいわく、死んだら肉体は無になるけれど、魂は永遠に存在し、3次元のこの世界から、4次元の世界に行くのだそうです。

「4次元というのは、死後の世界ですね。幽界、霊界、いわゆる地獄といわれている階層に分かれている。魂の波動の高低によって、それぞれ死後の魂は想念の赴くままに行くべき所へ行くらしいんですよ。こういうことは根拠のある話ではありませんから、信じるも信じないも各自の自由です。ただ私は信じるのです。信じざるを得ないような現象を経験しましたからね」

そんな佐藤さんが、最後の小説のつもりで書いた最新作が、実話を基にした「冥界からの声」。死んだ女の子から電話がかかってくるという不思議な話です。いま、『小説新潮』に連載されています。

「この前、瀬戸内寂聴さんと対談をして、寂聴さんが『書いている最中にパタっと死にたい』と言っていましたけど、私もそう思います。いわゆるそれが、作家のピンピンコロリ。生涯現役ができたら、人間いちばんいいんじゃないですか。父と母がお葬式を出したお寺が、東京の本郷にあるので、私も死んだら、そこでお葬式を出してもらうつもりです。

『紅緑之墓』という父の墓があるので、私も『愛子之墓』と彫った墓石を準備してあります。だから死んだら立てるだけ。でも、魂はお墓にいるわけじゃない。4次元に行っちゃっているからね。私は4次元のどこへ行くのかな、地獄か霊界か。こればかりは分からないわね。地獄へ行かされたら、仕方ない。反省して耐えてがんばりますよ。耐えてがんばることは今生で慣れていますからね」

 

取材・文/丸山佳子 撮影/原田 崇

 

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佐藤愛子(さとう・あいこ)さん

1923(大正12)年大阪市生まれ。甲南高等女学校卒業。1969年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞受賞。父・佐藤紅こう緑ろく、兄・サトウハチローら佐藤家の壮絶な家族史を描いた『血脈』で、2000年に菊池寛賞を受賞。

この記事は『毎日が発見』2018年4月号に掲載の情報です。
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