ロマンスグレーの波打つ髪にツイードのジャケット。おしゃれで、メタボなんて言葉とは無縁のスタイルを保っている作家の五木寛之さん。
「80歳過ぎまでは歯医者以外は病院のお世話にならず、"自分の面倒は自分で見る"という考えでやってきました。いま、85歳。左脚が痛むので病院に行ったら、変形性股関節症と診断されました。原因は加齢のようです」。
笑顔でそうおっしゃいますが、実は五木さん、若いころから片頭痛など数々の持病があり、50歳ぐらいまでは体調不良に悩まされてきたのだとか。まず、その持病を克服した健康法について伺ってみました。
病気は「治す」ものではなく、「治める」もの
「昔から"医療に治療なし"と言いますが、病気は『治す』のではなく、だましだまし馴らして、『治める』もの。だから僕は、『治ります』というのはあまり信用しないんです。健康ブームのいまは本当に情報が氾濫している。寝方一つでも、横向きで寝るのがいい、仰向け寝がいい、うつぶせ寝がいいと権威のある人が全く違うことを言われ、治療法や薬も数年前とは全く違う情報が次々に出てくる。確かに、医学は急速に進歩していますが、科学で解明されているのは、まだほんの一部に過ぎません。そうした中で、生きていく上で本当に役立つのは、知識よりも人間の直感。薬を飲んで『何か嫌な感じがした』とか、『このお医者さんとは合わない』という体の声だと思いますね」。
五木さんがそう考えるようになったのは、50歳を過ぎてから。人生の後半をどう生きるのかを考えるようになってからだそうです。
「僕が、最も持病に苦しんでいたのは40歳~50代前半。この間、数年にわたる休筆を、2回したほどです。特に苦しかったのは、1カ月に一度ぐらいの周期でやってくる激しい片頭痛と吐き気でした。そして、その原因が分からないことも、不安材料になっていました」
そこで、自分の体調を観察し、体の声を謙虚に聞くようにしてみたと言います。すると、片頭痛の予兆が次第に分かってきたのだとか。
「僕の場合は、気圧が変化すると上瞼(まぶた)が下がったり、唾液が少しネバネバし、額はそんなに熱くないのに首の後ろが熱くなったりする。それをいち早くキャッチし、天気図を見て、高気圧が低気圧に変化するときは、無理をしない。風呂に入らない、アルコールを控える、締め切りを延ばすとかね(笑)。そうやって自分で工夫しているうちに、体調の整え方が分かり、自分に合った生活習慣ができてきたのです。腰痛も同じです。若いころは、どうにか治せないかと悪戦苦闘したものですが、『腰痛は生涯の友。完治しなくていい』と考えを変え、自分なりの矯正方法をやってみると、それが気分転換にもなり、不思議と痛みも和らいできました。治療というより、『養生』です。
古来中国では、人間には持って生まれた〝先天の気〟と、生を受けてから養われる"後天の気"があり、二つのエネルギーがなくなると死を迎えると考えたそうです。ですから、元気に生きるためには、食事、睡眠、運動、環境などに気を配り、生きる力を養う『養生』が欠かせない。そういうことが分かってきたのは、50歳を過ぎてからですね」
ところが、健康情報が氾濫しているいまは、少しでも具合が悪くなると病院へ駆け込み、薬を飲む「健康病」の人が多くなったと五木さん。
「整体で知られた故・野口晴哉(はるちか)さんの言葉に、『風邪と下痢は体の大掃除』という名言があります。風邪をひくのも、下痢をするのも、無理をして体のバランスが壊れていることを教えるためのサイン。上手に風邪をひけば、以前よりも体調が良くなると野口さんは言っています。風邪のひき始めに高熱が出るのは、早く終わらせるための反応なのに、苦しいからとすぐに解熱剤や風邪薬を飲んで、熱を人工的に下げてしまう。それで風邪が長引き、免疫力がかえって弱まり、風邪の裏に隠れている病をなかなか見つけられないということも起こります。片頭痛にしても風邪にしても、『予兆のない病気はない』。これは、僕の持論です」
そう言いながら五木さんが引いてくれたのは、兼好法師の『徒然草』の一節。
四季はなほ、定まれるついであり。
死期はついでをまたず、死は前よりしもきたらず、
かねてうしろに迫れり。
「四季は順繰りにやってくるが、死期はいつくるか分からない。死は前からではなく後ろから忍び寄ってくる...。兼好が言うように、病も、死も後ろから、気づかぬうちに迫ってくるというのが真実だと思います。その予兆を見逃さないためにも、体の声を聞ける直感力を養っておかなければと思います」
「あきらめる」とは、明らかに究めること
五木さんが40歳になる前にタバコをやめたのも、車好きとして知られていたのに60代前半で車の運転をやめたのも、やはり、予兆を感じ取ってのことだったとか。
「いまのように嫌煙権などなく、物書きとタバコはセットのような時代でしたから、ヘビースモーカーでした。ところがある日、息苦しくて地下鉄に乗れなくなった。息を吸うことはできても、うまく吐き切れない。それが、タバコをやめた理由です。
車の運転をやめたのは63歳です。新幹線に乗っていても、60歳までは通過する駅名がピタッと止まって読めた。それが読めなくなり、いつも走る高速のカーブを曲がるときに、同じラインをトレースすることが難しくなってきた。これは、動体視力が衰え、立体感や遠近感を認識する能力が衰えてきた証拠です。運転をやめるのは、男を辞めるぐらいの思いがありましたね。乗らなくなってからも、車のボンネットを開けて、エンジンをいじってみたり...。
でも、人間は一定の年齢を超えると生理的にも肉体的にも衰えていく。それを認めず、『前向きに』とか、『アンチエイジングで』というのは、老いをネガティブに捉える発想です。『老い=あきらめ』と捉えている人もいますが、そもそも『あきらめる』とは、『明らかに究める』という意味。自分の状況を明らかに究めて受け入れ、その上で、その時々の自分に合った、自分に必要な生き方を模索していくことが大事なのだと思いますね」
取材・文/丸山佳子 撮影/奥西淳二
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五木寛之(いつき・ひろゆき)さん
1932年、福岡県生まれ。生後間もなく朝鮮半島に渡り、47年に引き揚げる。52年、早稲田大学第一文学部露文科入学。57年に中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年に『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年に『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年に『青春の門』(筑豊篇 他)で吉川英治文学賞を受賞。2010年に『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。『蓮如』『大河の一滴』『林住期』『下山の思想』などベストセラー多数。近著に『孤独のすすめ』『健康という病』『デラシネの時代』などがある。
最新刊と、作詩作曲を手掛けたCDが出ました!
『デラシネの時代 』
800円+税(角川新書)
戦争の世紀と呼ばれ、自由と平等を求めてきた20世紀から、難民が溢れ、ナショナリズムが勃興する21世紀へ。「大きな変革期に生きる私たちにいま必要なのは、自らを『デラシネ(漂流者)』と自覚することではないか」という五木流の生き方の原点にして、集大成的一冊。
『東京タワー 』
800円+税(角川新書)
歌/ミッツ・マングローブ 1,204円+税(日本コロムビア)
五木さんが作詩作曲を手がけたノスタルジックな昭和歌謡。1979年に、女優の松坂慶子さんが歌って大ヒットした五木さん作詞の「愛の水中花」を彷彿とさせる一曲です。2018年3月まで、NHKラジオ深夜便の「深夜便のうた」となっていましたが、聞き逃した人は、ぜひご試聴を。