生と死を見つめてきた宗教学者・山折哲雄さんに、人生百年時代の死生観、そして〝身じまい〟の仕方について伺いました。
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骨好き、墓好きの日本人が変わってきた
葬式仏教とは、仏教を信仰しているわけではないのに、葬式だけは仏教で行う日本独自の仏教の姿を揶揄した言葉です。こうした言葉が使われるようになったのは、戦後から。少なくとも戦争があって命が死と隣り合わせの時代は、多くの家に神棚、仏壇があり、毎朝手を合わせるのが日本の風景だったと山折さんは言います。
「葬式仏教が広がっていく中で、私は『日本人は、骨好きの宗教嫌い。墓好きの信仰嫌い』だと言ってきました。しかし最近では、そうも言えなくなってきた。正月とお盆に民族大移動をやっているけれど、あれは、都会を脱出したいから行くだけで、お墓参りというより、レクリエーションですよ。
先日は新幹線の中で洋服を掛けるフックに白い布で包まれた四角い箱を吊るして、本を読んでいる女性を見かけました。確信的な無神論者でも、葬儀が終わったら親の遺骨を大切に扱うだろうし、自分の家に親の遺骨や位牌ぐらいは置くと思っていましたが、こういう扱い方が普通になるなら、これから先はどうなるか分からない。死後離婚もそうです。夫が亡くなった後に、その妻たちが義理の父母と縁を切ることですが、この十年ほどで1.5倍に増えているそうです。義理の両親の介護はもちろん、先祖の墓を守るのが不安だし、負担だというのがその理由です。死んだ夫は何も知らない(笑)。生前に夫婦で話し合いができればよかったのか、しなくてよかったのか、夫婦のみぞ知るということでしょうね」
医療の進歩で選択が難しくなった、生と死
葬儀は、墓はどうするのか。自分のしまい方は自分で決めておかなければ、とても安心して逝けない時代になったと山折さんは言います。
「そう実感したのは、私自身が2016年の12月に心房細動から不整脈になり、軽い脳梗塞を起こして手術をしたからです。薬で治す方法もありましたが、手術をすれば不整脈は完全に治るという。医師は、私の顔を見ながら、『85歳か、ギリギリだな』と言いましたが、やっていただくことにした。6時間の手術をして1泊で退院。スピード時代です。そして、驚くことに10日後には仙台での講演に出席できました。生まれて初めて車いすに乗ってね。
いまはもう杖だけで歩けます。十年前なら、治っていなかったかもしれないでしょうね。医療の進歩は確かにすごい。しかしさまざまな選択肢が増えてくると、人間の死が不自然なものになってしまう。なぜなら、簡単に死ねないからです」
老衰で、父親が亡くなりそうだというと、「親父の年金どうなっている」「遺産はどうなっている」と親族が集まってくる。本人は、自分の意思ではもう何もできないのに生かされ、年金を子どもたちが吸い取っていく。認知症を患った場合は、本人の意思とは関係なく、親族や成年後見人の手によって死までのレールが敷かれてしまう。最近は、そんな話ばかりが耳につくようになったと山折さん。
「私たちは、いつ、どこに、誰の元に生まれるのか選べません。だから、死も選べないという言い方はできるのかもしれない。しかし医療技術の進歩によって、自分が全く望んでいない死を迎えるなら、死生観なんて持てないでしょう。いかに生き、いかに死ぬか。それは、同等の意味があるからこそ、死生観というのですから」
取材・文/丸山桂子
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1931年サンフランシスコ生まれ。54年、東北大学文学部インド哲学科卒業。東北大学大学院を経て、春秋社編集部入社。76年、駒澤大学助教授、77年、東北大学助教授、82年、国立歴史民俗博物館教授、88年、国際日本文化研究センター教授を経て、同センター所長などを歴任。『仏教とは何か』『神と仏』『美空ひばりと日本人』『デクノボーになりたいー私の宮沢賢治』『わたしが死について語るなら』『義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ』など著書多数。