生と死を見つめてきた宗教学者・山折哲雄さんに、人生百年時代の死生観、そして〝身じまい〟の仕方について伺いました。
前の記事「医療の進歩で選択が難しくなった生と死~山折哲雄さん(宗教学者)に聞く日本人の死生観(2)」はこちら。
国が死を規定しているから自由に死を選べない
「この夏、ある出版社の主催で安楽死などに関するアンケート調査がありました。内容は、『安楽死、尊厳死に賛成か否か』。私は安楽死に賛成。尊厳死をするなら、断食死がいいと思っています。結果はどうだったかというと、半数以上が安楽死に賛成でした。これだけ高齢者が多い世の中なのだから、80歳を過ぎたら、自分の身じまいは自分で決めていいのではないか。認知症が重度まで進んだら、何も分からないのだから、安楽死がいいという意見が多かった。
しかし、いまの法律では安楽死は認められない。医者が殺人罪に問われます。かといって、坊さんも引導を渡してくれない。心臓死から脳死が『死』と認定されるようになるなど、科学者や政治家が死を決め、国家が死を規定している。それがいまの時代です。ところが少し前の時代を紐解くと、老人たちがゆっくりと死を迎えるための共同体があったのです」
例えば、柳田國男の『遠野物語』に登場する老人共同体の話などがそれに当たるという。
「そして思ったのです。何でも即断即決で、スピードと合理性が要求されるいまの時代に最も欠けているのは、ゆっくりと死を受け入れる準備ではないのかと。二千年もの間、日本人は死と、死者や先祖とどう向き合ってきたのか。それを考える中で、今回は一つのヒントを見つけました。それは、平安時代中期の僧侶、源信が記した『往生要集』です」
過去から離れることこそより良く死ぬ一歩になる
『往生要集』とは、死にゆく者の実相を源信が直視しながら、看取りと往生の実践を記した書です。そこには、人が往生するときには阿弥陀如来のイメージが現れる「迎接の想」と、地獄の苦しみが現れる「罪相」があると書かれています。
「そう書いてあることは、もちろん私も知っていました。しかし、それが腑に落ちたのは、不整脈の手術をしてからです。
私は、子どもの頃から体が弱くて入退院を繰り返してきた。小児喘息、十二指腸潰瘍、急性肝炎、すい炎、胆嚢切除と内臓系の病気はほとんど経験しています。鈍痛、激痛、疼痛。ずっと痛みとの闘いでした。
ところが、今回は循環器系の病気なので、痛みというより、毎日ふわっと軽くなる瞬間が訪れる。ろうそくの火が消えていく感じ。何度か、涅槃の境地を味わったと言えるかもしれません。ここから妄想が始まるんですが、軽さの中で死ぬということは、その源信の言う『迎接の想』ではないかと思ったのです。そこで声が聞こえました。重さから離れろ、身軽になれ、と。
長年生きてきた人間の『癖』というのは、なかなか変えられないものです。しかし、たくさんの知識、思想、信仰などの重みといったものから離れて、身軽になることが、第二の人生の目標であり、ゆっくり身じまいをする準備であるように思えてきました。職業病として、本を買い込むので、これまで溜め込んだ本を寄付したり、譲ったりしてきました。でも、柳田國男全集と長谷川伸全集は残してあった。それも、術後、教え子に引き取ってもらいました。それでも最後に残った全集が一つだけあった。親鸞全集です。私は寺を継ぎませんでしたが、この全集は手放せなかった。でも、ついこの前、天の声が聞こえてきて、これも教え子に譲りました。親鸞の思想、信仰から自由になった。これは、ものすごい解放感でした。
こだわってきたものから離れて自立していくこと。それが、がんじがらめの死から解き放たれ、死の彼方への旅立ちにつながる。そして同時に、残りの生をより良く生きることにつながっていくのだと思います」
取材・文/丸山桂子
1931年サンフランシスコ生まれ。54年、東北大学文学部インド哲学科卒業。東北大学大学院を経て、春秋社編集部入社。76年、駒澤大学助教授、77年、東北大学助教授、82年、国立歴史民俗博物館教授、88年、国際日本文化研究センター教授を経て、同センター所長などを歴任。『仏教とは何か』『神と仏』『美空ひばりと日本人』『デクノボーになりたいー私の宮沢賢治』『わたしが死について語るなら』『義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ』など著書多数。