水道橋博士が語る54歳の芸人像と死生観(4)死生観を持って生きている 

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ビートたけしに弟子入りし、漫才コンビ「浅草キッド」を結成した水道橋博士。過激な笑いを生み出し続けた博士も、もう54歳。今、健康についてどう考えているのか伺いました。

前編「水道橋博士が語る54歳の芸人像と死生観(3)生き急いでいる方が人生は充実している 」はこちら。



50歳を超えると余生だと思っていたという水道橋博士には、年齢を重ねる中で常にある強迫観念があったと言います。それは一体どのようなもので、いかに克服してきたのでしょうか。

ここまで生きてこられたから十分、という思い

―― 年齢を重ねるということにどのようなイメージを持っていますか?

博士 俺、長生きするとは思ってなかったの。昔、「女子高生」っていう漫才コンビがいて、「私、大人が大嫌い。だって尊敬する尾崎豊が『20代を信じるな』って言っていた」っていうネタがあるの。そしたらツッコミが「その人(尾崎豊)、20歳超えてるじゃん」って(笑)。俺、すごいそのネタが好きで、いつもそれを年齢に置き換えて思ってる。ああ、40歳を過ぎたら不惑だ、50歳を過ぎたら、俺としてはもぬけの殻だとか。自分が忌み嫌っていた年長者なの。だけど、自分が54歳になったら、もうそうやって自分が否定的に見てた年齢を通過してるじゃん。で、だから設定をし直して、いつの間にか生きていくんだって思ってるのね。

その一方で、50は50で、そこまで生きてこれたんだから十分だって思いもある。何もやってなかったら後悔するよ。でも、俺は芸能界で自分の能力以上に自分は売れたって思ってるからね、自分では。そういうのは自己満足の度合いだと思うけど。自分の才能より今の状態は売れ続けているから。



50歳を越えたら余生。だから好きなことをやる

―― そんな54歳の自分をどのようにお考えですか?

博士 50歳を越えたら余生だと思ってるのね。だから好きなことをやろうと。50歳を超えてやりたかったのは、編集。物を編む仕事をやりたいと思ったから、メールマガジンの「メルマ旬報」とかを始めたんだよ。あと、山田風太郎の『人間臨終図巻』とか昔から好きだったから、いつか自分が死ぬっていう強迫観念が取れないのよ。これはずっと取れない。だけど、49歳何カ月で、あ、夏目漱石を超えたとか、って思ってるわけ。立川談志がそういう人で、いつ自分が自殺するんだっていう強迫観念がスゴかったんだって。

―― そういう強迫観念をどのように克服しているんですか?

博士 今日もまた死んでないって、つまり毎日人生を更新できてるでしょ。子供の頃から、もしかしたら自分も自殺するかもしれないとずっと思いつつ、思春期を生き、だけど、その観念はなくなって更新できている。これは自分に子供が生まれたことも大きいんだけどね。もう俺は自分からは死ぬことはないと思った。(ビート)たけしさんは、『俺くらい破滅的って言われて、野垂れ死にするイメージを持たれているのに、これだけ生きながらえている奴はいない』ってよく言っている。実際、自分の中で破滅的な生き方をしているのに、70歳を越えて生きてしまっているから、ものすごくご本人の人生観で違和感があると思うよ。

「毎日、死に方を考えて生きている」って最近よく言うんだけどね。「いつ死んでもいい」って。俺も死生観を持って毎日生きているから、死と戯れている感覚があるんです。一日一生だと思って死と戯れてる人の表現だから届くのであってね。その上でそれを更新して「生きたい」と思っているんだよね。

取材・文/戸部田 誠 撮影/奥西淳二

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水道橋博士(すいどうばしはかせ)

1962年生まれ、岡山県出身。ビートたけしに憧れ上京、86年に弟子入りし、浅草フランス座での住み込み生活を経て、87年に玉袋筋太郎と「浅草キッド」を結成。テレビ、ラジオ、漫才の他、文筆家としても活躍。『週刊文春』に連載コラム執筆中。

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『はかせのはなし』

KADOKAWA (1,200円 + 税)

『広報東京都』で2009~2014年に連載されたエッセイ「はかせのはなし」を全面改稿。さらに、書き下ろしの家族とのエピソードなどを加えた一冊です。

 
この記事は『毎日が発見』2017年8月号に掲載の情報です。

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