「響、すごいじゃん」とほめられたときのうれしさ/岩野響『15歳のコーヒー屋さん』(4)

4.jpg10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断された岩野響さん。中学校に通えなくなったのをきっかけに、あえて進学しない道を選んだ15歳の「生きる道探し」とは?
著書『15歳のコーヒー屋さん』を通じて、今話題のコーヒー焙煎士・岩野響さんの言葉に耳を傾けてみましょう。

◇◇◇

前の記事「小学校3年生で教室にいられなったぼく/岩野響『15歳のコーヒー屋さん』(3)」はこちら。

 

はじめて先生やみんなに認められた!

教室を飛び出したり、床に寝そべったりしていたぼくは、小学校に併設されていた「特別支援学級」に通級することになりました。
特定の時間だけ、自分のクラスではなく支援学級で勉強するのです。でも、それはぼくにとっては納得のいかないものでした。
自分のクラスは相変わらずうるさいままで、そのおもな原因になっている騒がしい子たちはそのままなのに、ぼくだけが支援学級に行かなければいけない理由がわからなかったのです。

支援学級には、体が不自由だったり、知的な遅れがあったりするなど、かなり障害が重い子どもたちがいました。
そのクラスへ行くと、ぼくがお世話係のような立場になります。ぼくはそんな子どもたちより、自分のほうがしっかりしているように思えました。だから、なぜ自分がこのクラスにいなければいけないのかわからなくて、嫌だったのです。

もしかしたら、支援学級にいる子どもたちと、同じに見られたくないという気持ちもあったのかもしれません。
そして自分のクラスに戻ると、今度は〝支援学級の響〟とからかわれます。それで通級することが嫌になり、特別支援学級がトラウマになってしまいました。

小学校4年生で担任が代わり、教室が静かになったので、ぼくも教室にいられるようになりました。そして、5~6年生でとてもいい先生に出会い、助けてもらいながら、問題なく通うことができました。

その先生は鹿貫(かぬき)先生といいます。いまも定期的にぼくのようすを見に来てくださいます。
鹿貫先生には、本当によくほめてもらいました。ぼくが描いた絵をはじめてほめてくれて、市の文化展に出展してくれました。そして、その絵でぼくははじめて賞をもらいました。

ぼくが唯一好きな教科は図工だったのですが、いま思えば、あれはぼくに自信を持たせるためだったのかなと思います。

また教室の掃除の時間に、先生はぼくが床を拭くだけでもほめてくれました。先生がことあるごとにほめてくれたおかげで、「響、すごいじゃん」とクラスのみんなに認めてもらえるような雰囲気を作ってくれたのがうれしかったです。

鹿貫先生との出会いもあり、小学校はなんとか無事に卒業することができました。

 

撮影/木村直軌

次の記事「発達障害を知らなかった私たちー母親が語る幼少期/岩野響『15歳のコーヒー屋さん』(5)」はこちら。

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岩野 響(いわの・ひびき)

2002年生まれ。群馬県桐生市在住。10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断される。中学生で学校に行けなくなったのをきっかけに、あえて高校に進学しない道を選び、料理やコーヒー焙煎、写真など、さまざまな「できること」を追求していく。2017年4月、自宅敷地内に「HORIZON LABO」をオープン。幼い頃から調味料を替えたのがわかるほどの鋭い味覚、嗅覚を生かし、自ら焙煎したコーヒー豆の販売を行ったところ、そのコーヒーの味わいや生き方が全国で話題となる(現在、直販は休止)。公式ホームページはこちら「HORIZON LABO」コーヒー豆の通販はこちらで行っています。

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『15歳のコーヒー屋さん』

(岩野 響/KADOKAWA)

現在、15歳のコーヒー焙煎士として、メディアで注目されている岩野響さん。10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断され、中学校に通えなくなったのをきっかけに、あえて進学せずコーヒー焙煎士の道を選びました。ご両親のインタビューとともに、精神科医・星野仁彦先生の解説も掲載。

この記事は書籍『15歳のコーヒー屋さん』からの抜粋です
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