「沈黙」がもつ表現力でコミュニケーションを豊かに/枡野俊明

「沈黙」がもつ表現力でコミュニケーションを豊かに/枡野俊明 pixta_14527718_S.jpg職場、恋愛関係、夫婦関係、家族、友人...。毎日自分以外の誰かに振り回されていませんか?

"世界が尊敬する日本人100人"に選出された禅僧が「禅の庭づくりに人間関係のヒントがある」と説く本書『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』で、人間関係改善のためのヒントを学びましょう。今回はその第23回目です。

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多くを語らない

最近、受けた相談で、「沈黙が怖い」という悩みをおもちの方がいました。もしかすると、あなたにも心当たりがあるかもしれません。おそらく、この悩みの原因は、「会話が続かないと、嫌われてしまうのではないか」「場がしらけると、つまらない人だと思われてしまう」といった、周囲に過剰反応してしまっていることにあると考えられます。

このように他人に振り回されてしまっている人にお伝えしたいのが、「不立文字(ふりゅうもんじ)」という禅の言葉です。ほんとうに大切なことは言葉や文字では伝わらない、心から心に伝わるのである、という意味になります。

これは禅が言葉を軽んじているということではありません。言葉は大切なものですし、丁寧に扱うべきものだということは禅も心得ています。しかし、どれほど言葉を尽くしてもなお、伝わらないことがある。禅の教えや悟りはそこにあるのだ、ということを、この言葉は教えてくれるのです。

言葉を連ね合うことだけが人と人のコミュニケーションではありません。語らないコミュニケーションもあるのです。あなたも、ふと言葉を呑み込んだ友人の沈黙のなかに、悲しみの深さを感じとったなどの経験があるのではないでしょうか。あるいは、何も語らず黙っている恋人から、あふれるほどの思いやりが伝わってきたことはありませんか?

言葉には尽くせない、言葉を超えるコミュニケーションはたしかに存在するのです。

ところで、「禅の庭」でもっとも重要な"素材"は何だと思いますか?もちろん、石や白砂、植栽などは重要です。しかし、それと同等、もしくは、それ以上に不可欠な素材があります。何もない空間、すなわち「余白」がそれです。

「禅の庭」の凜とした佇まい、そこに漂う静謐(せいひつ)な空気、心地よい緊張感......といったものは余白なしには表現できません。また、「この禅の庭があらわしているのはどんな世界なのだろう?」「作者はどのような意図でこれをつくったのだろう?」というふうに、見る人の想像力を掻き立てる源泉も余白の存在があってこそのもの。

「禅の庭」は余白の表現力に負うところきわめて大である、といっていいでしょう。その表現力を証明するものはまだあります。動きのなかで余白にあたるのは動かない瞬間、つまり「間」です。

能や歌舞伎が間を重んじていることは、誰もが知るところでしょう。能の動きは全体にゆったりとしているのが特徴ですが、一つの動きから別の動きに移るとき、一瞬の間があります。その間が舞台の緊張感を高めるのです。演者が動きをとめるその瞬間、観客は息をとめ、目を凝らして、次の動きを想像する。ピーンと張り詰めた空気が空間全体を支配します。それほどのすぐれた表現力が、間にはあるのです。

言葉のやりとりでいえば、余白であり、間であるのが「沈黙」です。先に例をあげましたが、沈黙にも豊かな表現力があります。コミュニケーションのなかでそれを使わない手はありません。

実際に、伝えようとする思いを言葉にしたものの、「何か違うかも。ほんとうの思いはそうじゃないんだけど」と、もどかしさを感じることは誰にでもあると思うのです。そんなときは沈黙の表現力にまかせてみてはいかがでしょう。

日本人には相手の思いや胸の内を「察する」という伝統的な文化があります。若い世代には、沈黙の時間が怖いがために、しゃべり続けることがあるとも聞きます。しかし、長い年月のなかで受け継がれてきた文化は、そう簡単に廃すたれるものではありません。

「察する」という文化のDNAは、若い世代のなかにも必ず受け継がれているはずです。いまは眠っているかもしれないそれを、ぜひ、目覚めさせましょう。そのためには、沈黙には意味があることを意識し、それを汲みとる努力をすることです。その努力を続けていると、沈黙は"言葉の空白"ではなく、そこにはさまざまな思いが込もっていることがわかってくるはずです。

言葉にならない表現に気づくことは、コミュニケーションを豊かにします。それはそのまま、人間関係を豊かに、深く、さらに、彩りあるものにするでしょう。

 

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枡野俊明(ますの・しゅんみょう)

1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授、庭園デザイナー。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。主な著書に『禅シンプル生活のすすめ』、『心配事の9割は起こらない』(ともに三笠書房)、『怒らない 禅の作法』(河出書房)、『スター・ウォーズ禅の教え』(KADOKAWA)などがある

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『近すぎず、遠すぎず。』
(枡野俊明/KADOKAWA)


禅そのものは、目に見えない。その見えないものを形に置き換えたのが禅芸術であり、禅の庭もそのひとつである。同様に人間関係の距離感も目に見えない。だからこそ、禅の庭づくりに人間関係のヒントがある――「世界が尊敬する日本人100人」に選出された禅僧が教える、生きづらい世の中を身軽に泳ぎ抜くシンプル処世術。

 
この記事は『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』からの抜粋です

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