「反応」につかれたときは自分の「感覚」に帰ろう/これも修行のうち。

「反応」につかれたときは自分の「感覚」に帰ろう/これも修行のうち。 pixta_26848441_S.jpg人間関係、失敗、病気、心配事......生きていれば必ず起こるあらゆるツライことを「上手に消す」心の習慣とは? それは「これも修行のうち」と捉えてみること。

「不安」も「怒り」もすべて妄想だったと気づけるプチ修行の方法を本書『これも修行のうち。』から学びましょう。

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前の記事「「心」の使い方を知るとストレスが溜まらなくなる!?/これも修行のうち。(6)」はこちら。

 

日々の生活の中で「要らない反応」は、溜まっていくものです。カラダが汗や埃(ほこり)で汚れていくように、心も、外からの刺激への反応によって汚れていきます。大事なのは、その反応をどう〝洗い流す〟かです。たとえば、こんな精神状態になったとき、どう対処すればよいのでしょうか――。

・ストレスが溜まって、殺伐とした感情でいる。癒しが欲しい。

・考えすぎて疲れてしまった。アタマのモヤモヤが消えない。

・先のことを考えると憂鬱。「いつまでこんな毎日が......」と憂鬱に。

・「なんでそういうことをするか」と、ついイラッとする相手がいる。

こうした一見、出口の見えない不快感におちいったときは、こう発想してください――「感覚に帰ろう」と。

「感覚に帰る」とは、先に触れた通り、意識をカラダの感覚に向けることです。これは、イライラを解消し、アタマのモヤモヤをすっきりさせる、簡単・便利で抜群の効果を持つ方法です。その練習を始めてみましょう。

 

疲れたときは、「感覚に帰る」

最初に、なぜ「感覚を意識する」練習が大事なのか、ざっと私たちの日常生活を振り返って考えてみましょう。

たとえば、ムシャクシャしたときに「楽しいことをして憂さを晴らそう」とすることがありますね。「ああ、疲れた。気分転換に別のことをしよう」と思いつくこともあります。両方とも、よくやっていることだと思いますが、もしこれが「間違った方法」だとしたら、どうでしょうか。

間違いといえるのは、いずれも、「別の問題・悩みを引き起こしている」からです。たとえばストレス解消にと、つい「食べる快楽」に走る場合、元にある不満(仕事や人間関係など)がそのままだと、過食・肥満につながるだけかもしれません。これでは、「正しい行動」とはいえませんね。これは、憂さを晴らす手段が、アルコールやギャンブル、ゲームなどの快楽に依存する場合も、同じです。

また、「気分転換に」と、スマホやネットやテレビに手を伸ばすこともありますが、人によってはハマッてしまって、「しまった、時間をムダにした」と、自己嫌悪や苦い後悔など、別のストレスを作り出すこともあります。となると、こうした選択は、快適な心づくりの上で、正しいとはいえなくなります。ではいったい、具体的にどこが間違っているのでしょうか?

 

反応しつづけるかぎり、疲れは取れない

ブッダの智慧を借りれば、間違いの理由が見えてきます。

その理由は、まず"心の性質"にあります。つまり、心は反応することが性質(仕事)です。となると、「次の反応」に走るかぎり(快か不快かにかかわらず)、心そのものは止まりません。

その止まらない反応が、別の反応を誘発します。「憂さを晴らす」「気分転換」のつもりでいったん反応すると、別の感情や妄想など、さまざまな余計な反応が出てきます(いわば二次反応です)。反応を休めるつもりだったのが、逆に増えてしまうのです。

その結果、心は拡散して、ぼんやり状態の中で「ああ、やってしまった......」ということになるのです。

つまり、人が最初の不快感を抜け出すために、別の反応に頼ろうとしても、その効果には限界がある、ということなのです。ではどうすればいいか。それは、余計な反応を生み出さない、シンプルな"感覚"に意識を向けることです。

 

反応を止める基本は〝感覚を意識する〟こと

反応に疲れたときは、「感覚を意識する」ことが最大の秘訣です。というのは、日頃の反応は、たいてい"感情""思考"です。「不満を紛らわすために楽しさを」というのは、"感情"で反応し続ける状態だし、「ネットで遊んだり、本を読んだり、テレビを見たり」というのは、"思考"(より厳密にいえば妄想)で反応し続ける状態です。

いずれも、一見「気分転換」には見えますが、反応そのものは止まっていません。だから、疲れが抜けないのです。この反応をいったんストップさせるには、「感情にも思考にも、心を使わない(反応しない)」ことです。となれば、「感覚に意識を向ける」しかありません。

その感覚を意識している状態を"マインドフルネス"――意識をフルに(十二分に)使っている状態――と呼びます。ブッダが生きていた古代インドでは"サティ"(気づき)と呼んでいました。

「外に出るとき、家に帰るとき、前後を見たり、体を動かしたり、服を着たり、食べ物を口に入れるとき、用を足すとき、歩くとき、座るとき、その他、目が覚めている間は、サティをよく働かせていなさい」――ブッダ最後の旅にて・弟子たちに 長部経典

 

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草薙 龍瞬(くさなぎ・りゅうしゅん)

僧侶、興道の里代表。1969年、奈良県生まれ。中学中退後、16歳で家出・上京。放浪ののち、大検(高認)を経て東大法学部卒業。現在、インドで仏教徒とともに社会改善NGOと幼稚園を運営するほか、日本では宗派に属さず、実用的な仏教の「本質」を、仕事や人間関係、生き方全般にわたって伝える活動をしている。著書に『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』(WAVE出版)、『独学でも東大に行けた超合理的勉強法』(サンマーク出版)、『消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』(大和出版)がある。

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『これも修行のうち。』
草薙龍瞬/ KADOKAWA)

人間関係、失敗、病気、心配事......あらゆるツライことを「上手に消す」心の習慣があります。それは、「これも修行のうち」と捉えてみること。イヤなことは「自分を磨く」ツールになる。ベストセラー『反応しない練習』の著者が教える、日常生活、仕事で使えるプチ修行50!

『これも修行のうち。』

 

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この記事は書籍『これも修行のうち。』からの抜粋です

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