自分のカラダの感覚を"見つめて"みよう/反応しない練習(9)

自分のカラダの感覚を"見つめて"みよう/反応しない練習(9) pixta_17007539_S.jpg誰かの言葉にすぐ反応。SNS、ツイッター、ネット記事に常に反応......毎日、ムダな「反応」をしていませんか? すべての「苦しみ」は、自分が「反応する」ことから始まっています。それを理解することが、悩みを解決する第一歩です。
本書『反応しない練習』で、ブッダの超・合理的な考え方を学び、あなたも‟反応しない練習"を始めてみましょう。

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カラダの感覚を意識する

もう一つは、「感覚を意識する」という方法です。これは、ストレスや疲れが溜まった心をリフレッシュする、抜群の効果があります。

まず、目を閉じて、自分の手を見つめてください。暗闇のなかに「手の感覚」がありますね。その手を見つめながら上に挙げてください。「動く感覚」があります。このとき、「手の感覚がある」「手の感覚が動いている」と意識します。手を肩のあたりまで挙げて、元の場所まで下ろします。その間、目をつむったまま、手の感覚を見つめます

今度は、手のひらを上に向けた状態で、脚の上に置きます。そこで手を握ったり、開いたりしてみます。「手を握ると、このような感覚が生まれる」「手を開くと、このような感覚が生まれる」と確認します。これも、しばらくやってみます。

椅子から立ち上がってみましょう。カラダの感覚を見つめながら、立ち上がります。歩くときは、動く足の感覚、特に足の裏の感覚を見つめながら、歩きます。「カラダの感覚を見つめる」ように心がけていると、「感覚を意識する」「よく感じ取る」ことの意味が、わかってくると思います。

同じ要領で、呼吸しながら「お腹のふくらみ、縮み」や、「鼻先を出入りする空気の感覚」を感じ取るようにします。こうして、日頃動かしているカラダの「感覚」を、よく意識しながら感じ取るようにするのです。

これらの二つの方法(1)言葉で確認する、(2)感覚を意識する―は、ブッダが生きていた時代には、「サティ」(sati)と呼ばれていました。禅の世界では「念じる」、瞑想の世界では「マインドフルネス」と呼ばれています。

心の状態をよく見ること、意識すること。そのことで、ムダな反応は止まり、心は静まり、深い落ち着きと集中が可能になります。

 

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草薙 龍瞬(くさなぎ・りゅうしゅん)

僧侶、興道の里代表。1969年、奈良県生まれ。中学中退後、16歳で家出・上京。放浪ののち、大検(高認)を経て東大法学部卒業。現在、インドで仏教徒とともに社会改善NGOと幼稚園を運営するほか、日本では宗派に属さず、実用的な仏教の「本質」を、仕事や人間関係、生き方全般にわたって伝える活動をしている。著書に『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』(WAVE出版)、『独学でも東大に行けた超合理的勉強法』(サンマーク出版)、『消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』(大和出版)がある。著者ブログはこちら。 

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『反応しない練習』
草薙龍瞬/ KADOKAWA)

すべての「苦しみ」は、自分が「反応する」ことから始まっています。それを理解することが、悩みを解決する第一歩です。その事実と、具体的な方法論を教えてくれるのは、2500年前の悟った人、ブッダ(原始仏教)。本書では、原始仏典を紐解きながら、現代人の人生に活かせる合理的な考え方を紹介します。

 

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