「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
僕が病気になったわけ
8月5日に生命保険の担当をしていただいている浅川さんと、近所の喫茶店で会った。
「大変でしたね」
浅川さんは人なつっこい顔の眉毛を八の字にして深刻そうに言った。
「ええ、まあ。でも、浅川さんも大変だったみたいですね」
浅川さんはちょっとびっくりしたように僕の顔を見ると、「まあ、刀根さんほどではないですけど、私も今回はちょっときつかったですね」と言った。
浅川さんも僕と同時期に風邪から気管支をこじらせて肺炎になり、長期の入院をしていたのだった。
「いや~刀根さん、本当に良かったですね。私も嬉しいです」
浅川さんはそう言うと、書類をテーブルの上に広げた。
「これから、今回の入院における保険金手続きの最終確認をしたいと思います。えっと、これが今回の入院関連の書類になります」
そこには当初予想していた以上の保険金額が示されていた。
「えっと...、予想よりもかなり多いんですが...」
「ええ、そういうふうに査定されたようです。まあ、保険屋としてはこういうときこそお役に立たなきゃ意味がないですからね」
「退院後に南伊勢に静養に行ったんですが、その旅費がこれで出ました。助かります」
想定外に出て行った支出が、想定外のところからちゃんと入ってきていた。
流れに乗っているときは、こういうことが起こるんだろう、と僕は漠然と思った。
「静養ですか、いいですね~、私も行きたいです。私も3週間ほど入院していたんで、体力ががた落ちですよ」
確かに、浅川さんは以前会ったときよりも、ずいぶんと痩せていた。
僕は言った。
「入院するとやることがないので、筋肉が落ちますよね。僕なんか体重が50キロまで落ちましたもん」
「50キロですか、それはそれは...」
浅川さんはそこで一度口を閉じると、真剣な目で言った。
「本当に大変だったんですね...で、刀根さん、その後の体調はいかがですか?」
「ええ、まあ声はこの通り、まだ全然出ていません」
僕の声はまだまだかすれ声で、ほとんど出ていなかった。
「それと、まだまだ体力が戻ってないので、すぐに疲れますね。ステロイドを止めてから身体がすごくダルいです。でも入院する前は30m歩くと息切れしましたが、今は歩いて息切れすることはなくなりましたよ。まだ走れないですけどね」
「おお、それは良かったです」
「それと右目がおかしいですね」
「右目が?」
「はい。ちょうど焦点が合うあたり、視野の真ん中らへんがものすごく歪んで見えるんです。四角いビルが台形に見えます。丸い形も超歪んで見えますし、色も少しおかしいですね」
僕は左目を手のひらで押さえて、右目で喫茶店の天井ライトを見てみた。
円形の電灯がぐにゃ~っとゆがんでひょうたんみたいに見えた。
「そうなんですか...実は私も高校のときに、目を怪我しましてね」
「えっ、そうなんですか? どんな怪我をしたんですか?」
「いやね、放課後だったんですけど、教室にいたら野球部のボールが飛んできて窓ガラスを直撃して、ガラスがぶわ~っと飛び散ったんです。で、そのガラスが運悪く眼球に刺さっちゃったんですよ」
「うわ~、痛そうですね」
僕は思わず眉をひそめた。
「ムチャクチャ痛かったです。すぐ入院して、眼球からガラスを抜いたんです」
「どうやって抜いたんですか?」
「ええ、ピンセットでね。当然、麻酔なしですよ」
僕はその光景を想像して、背中が寒くなった。
「そのあとも10年くらい、視界がおかしかったですね」
「どんなふうに?」
「光がぐにゃ~っと曲がって見えるんです。気持ち悪いくらいに。やっと普通に見えるようになったのは、20代の終わりくらいですかね。だから私はそれまで車の免許とれなかったんです」
「ああ、僕も今かみさんから運転を禁止されています」
「大丈夫ですよ、時間が経てばきっと治りますから。私が治ったんですからね」
浅川さんはニコッと笑った。
「いやあ、それ聞いて希望が出てきましたよ。ありがとうございます」
そっか...数年単位で考えればいいんだ。
ちょっと焦っていたかな。
そうか、いつかは治るんだな。
「浅川さんの体調はいかがです?」
僕は聞いた。
「私は過労からくる肺炎って言われました」
「過労ですか...。僕も今回の件で思ったんですけど、病気っていろいろ考えさせられますよね」
「ええ、確かに」
浅川さんがうなづく。
「生き方とか、働き方、みたいのものとか」
「生き方、ですか?」
「ええ。僕の場合、心理的なところも大きかったんじゃないかと思います」
「心理的なところというと?」
「僕はね、完全主義者だったんですよ」
「完全主義者、ですか?」
「ええ、そうです。なんでも完全・完璧にやらないと気がすまないって、やっかいなやつですよ」
「でも、それって仕事とかではいいことなんじゃないですか?」
浅川さんが不思議そうに聞き返す。
「確かにそうですね。確かに仕事ではいい評価を受けることもありましたよ、まあ全部じゃないですけど。でもね浅川さん、完全主義者は自分のことが許せないんですよ」
「許せないっていうと?」
「常に完全・完璧を求めるがゆえに、そうじゃないと、完璧じゃないと、自分にダメ出しをしちゃうんです。それからね、なんにでも完璧を求めちゃうんです。さらにやっかいなのが完全であることって、滅多にない、というか、ほとんどないんです。ですから自分にダメ出しばっかでした。気づきませんでした、がんになるまで、こんなに自分にダメ出しをしている自分がいたなんてことに」
僕は自嘲気味に笑った。
「...」
「がんになる前、僕は自分に自信がありました。自信があったつもりです。自己肯定感も結構高かったと思います。でもね、僕が自信を持っていた自分、自己肯定感が高かった自分っていうのは、そうやって一生懸命完璧を求めて、そして、その結果を出している自分だけだったんです」
「...と、言いますと?」
「つまり、頑張ってない自分、完璧じゃない自分はダメなんです。そういう自分を感じたくないがゆえに、必死になって頑張って、なんとかクリアして、他人よりも実績を上げたり評価を受けたりして、やっと自分にオッケーを出していたんですね。まるでシンクロみたいですよ」
「シンクロって言いますと?」
「水面では笑顔だけれど、水面下では必死に泳いでいる、みたいな」
「なるほど...」
浅川さんが相づちを打つ。
「沈まないように、必死で足を動かしているんです。沈んだら、ダメな自分になってしまうから。でも、そういうことをしていることにすら、気づいていないんです。そういう生き方が無意識に身についてしまったから。がんはね、それを教えてくれたんですよ」
「そうなんですか...」
「ねばならない、ねばならない、すべきである、すべきである...こういう生き方が僕のがんを作ったんだと思うんです」
「ねばならない、べきである...確かにそうやって自分を縛ったり、自分にむち打ったりすること、よくあります」
浅川さんは神妙にうなづいた。
「僕は常に完全を求めて自分に鞭を打ち続け、身体にも無理をさせ続け、そして自分にダメ出しをし続けて、その結果、がんになったんだと思います。浅川さん、がんの遺伝的な確率ってどのくらいかご存じですか?」
「家族ががんだと、遺伝するってやつですか?」
「ええ、そうです」
「そうですね、そういう話は良く聞きますから...50%くらいですか?」
「いえ、ひとけた違います。実は、たった5%なんですよ」
「えっ、5%なんですか?」
「そうです。がんはほとんどの場合、生活習慣病なんですよ。食生活、生活習慣、思考習慣...つまり、生き方の歪みってやつがを創り出すんです」
「へぇ~知りませんでした」
「僕なんかいい例ですよ。身体が『もう無理、休みたい』って言っているのに、身体の声をまったく聞いてない。まだ大丈夫、もっとできる、もっと頑張れ、まだやれるとか自分に言い聞かせて無理をしてしまう。それが積み重なってどこかで身体の限界値を超えたとき、という病気が現れたんじゃないかと思うんです」
「う~ん、そうかもしれませんね。私も入院するまでは、かなり忙しくしていましたから。私も自分の働き方をちょっと考えなきゃですね」
「病気って、身体からのメッセージのような気がするんです。もっと自分を大切にしてよ、自分の人生を生きようよ、とか、そういう」
「メッセージ...ですか」
「ええ。だから、仮にがんが消えても、それを創り出した生き方が変わってなかったら、再発したり別のところがまた何かの病気になったりするんじゃないでしょうか」
「そうなんですかね~...深いですね」
そう、人生が示唆してくるものって、本当に深い。
僕はそう思った。