アメブロで「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」を運営しているかづと申します。
息子の通う高校でPTAの会長に選出された時のお話です。
【前回】「PTAを自己アピールの場と勘違いしてる?」会長に敵意むき出しだったメンバーの真意は...

無事にPTAの校区内パトロールを少人数で終え、恒例の「反省会」という名のお茶会に移動した。
30人を超える大人数で実施した時期もあり、その際にはこのお茶会を担当する役員が本当に大変な思いをしていた。
今でこそ大規模なコーヒー店が多数あるが、当時は繁華街と言えども一度に入れる人数はせいぜい14~15人程度の喫茶店ばかり。
しかも食事や追加注文をしてくれるならまだしも、コーヒー1杯で1~2時間居座られるとお店に迷惑がかかり、予約を取るのに毎回苦労したものだ。
役員は事前に何軒も電話をかけ、ようやく受け入れてくれる店を探し当てるのだが、当日になって人数が増減すればまた調整が必要で、胃が痛くなるような作業だった。
今回は少人数だったので予約も不要で、目の前にあった喫茶店に「ここにしよう!」とすんなり決まったのは実に気が楽だった。
実際のパトロールにかかった時間は30分程度。
しかしそのために片道2時間半もかけて遠方から来ていた委員がいたと思うと、気の毒で仕方がない。
学校が私立であるため、驚くほど遠くから通っている生徒も少なくない。
さらに保護者の多くは仕事を持っているので、わざわざ休みを取ってまで学校に来てもらう以上、活動は有意義なものであるべきだ。
反省会では「来年からも少人数で実施しよう」という意見で一致し、次回の定例会で正式に議題に掲げることになった。
効率的で負担の少ない形に変えていくことは、委員全員の願いでもあった。
ただ問題は例の吉田さんである。
こちらとしては無駄を省き、内容のあるPTA活動にしたいのに対し、吉田さんは「何でも有意義」と考えるタイプで話が噛み合わない。
PTAの勧誘文句に「お友達ができますよ」というものがあるが、小学生ならともかく高校のPTAで友達欲しさに参加する保護者がいるとは思えない。
もしPTAをお友達探しの場にされてしまえば、無駄話ばかりで時間が浪費される。
役務より茶話会目的で来られては困るのだ。
私は学校まで車で有料道路を使って15分だったが、電車やバスを乗り継ぎ、仕事を休んでまで出席した委員会がほぼ茶話会だったら参加したくない。
吉田さんは専業主婦で学校から近く、家庭に小さい子や高齢者もいないため、しょっちゅう学校に来て長時間おしゃべりしても「ね、PTAって楽しいでしょ♪」となるのだろう。
しかし私は専業主婦であった当時も、委員会活動と茶話会は別物にしてほしいと考えていた。
委員会は委員会で終わらせ、解散後は自由にすればいいのだ。
前年度、吉田さんは3年生の役員だったが、行事のたびに人集めをほぼ命令のように電話で迫り「どうしてこんなに出席者が少ないの!集めるのが委員の仕事でしょ!」と攻撃していたらしい。
だからこそ、PTAの仕事が削減されることには黙っていられないのだろう。
私自身もPTAの仕事は嫌いではないが、無駄話ばかりの時間はどうしても苦手だった。
効率的に進め、必要なことだけを共有して解散する、それが理想だと思っていた。
定例会で翌年度からのパトロールの件を議題に挙げると、吉田さん以外は全員賛成し、少人数での実施が決定した。
残るPTAの仕事は卒業式と入学式、翌年度の役員選出と総会準備だけになった。
当時この高校は卒業式が2月後半、入学式が4月、総会が5月に行われていた。
会長である私はもちろん、選考委員会には本部の3年役員と各種委員会の長・副3年が加わる。
ところが学校側は「会長は男性にしたい」と考えており、PTA担当の倉木先生から校長の内々の意向が伝えられた。
それも「男なら誰でもいい」というもので、1年生で全く活動に出てこなかった人でも構わないという。
あまりに形式的な考えに思わず噴き出してしまったが、この話を内々で終わらせるつもりはなく、選考委員会や定例会でも皆に伝えることにした。
こんな話がまだ表に出ないと思っていること自体に驚きを覚えた。
形式ばかりを重んじ、実際に活動してきた人の努力を軽んじる姿勢は、保護者にとっても納得しがたい。
こうして一年を振り返ると、PTA活動は単なる学校行事の補助ではなく、保護者同士の価値観の違いが色濃く表れる場でもあった。
効率を重んじる人もいれば、交流を楽しみたい人もいる。
だが、限られた時間と労力をどう使うかは大切であり、無駄を省きつつ必要な役割を果たすことこそ本来の目的だと改めて感じた。
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