右半身麻痺になり落ち込んだ父を励ました未熟児の三つ子の存在

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ペンネーム:あき葵
性別:女
年齢:47
プロフィール:三つ子のママです。訳あって15年前に離婚して女手一つで子育てをしながら、出産と同時期に倒れた父の介護もしております。

父が脳梗塞で倒れたのは15年前、67歳の時でした。ちょうど、娘の私が3つ子を身ごもり、切迫流産で急遽入院した次の日のことです。
私は、父が倒れたことも知らずに、見舞いに来てもくれない両親に寂しさと怒りを募らせ、流産するかもしれないという不安で毎日枕を濡らしておりました。
知らせを受けたのは、出産した後。知らせなかったのは、私の精神状態への配慮ということでした。
子供は2ヶ月も早く産まれてしまったので、入院を続ける子供より一足先に退院した私は、主人に連れられて父の入院する病院に直行しました。久しぶりに出会った父は、ひとまわり、ふたまわりも小さくなっていました。父は私をみると、目を丸くして驚き、照れ臭そうに頭をかいていたことを今でもよく覚えております。

父は右半身に麻痺が残りました。倒れた当初は、立つことがやっとで、機能していない腕の重みを痛感しているようでしたが、リハビリの先生がよく見てくださり、少しずつバランスもとれてきて、背中もしゃんとして、階段の上り下りができるようになるまで回復。このまま歩けるようになるのではと思ったぐらいでした。
ただ、右半身がきかなくなったので、日常の生活は一変してしまいました。もともと不器用な父は、箸を持つのが苦手で、豆を別の器に移すというリハビリが1番嫌いな様子。苦労したことは言うまでもありません。同じ病院に入院していた患者さんの中には、そのイライラを周囲にぶつける人もおり、付き添いの人が八つ当たりをされて影で涙している姿をたくさん見ました。ですが、父はその逆で、自信を喪失し、精神的に塞ぎ込むタイプでした。
病室の窓を眺めては、「俺が飛び降りられないように、わざと手すりが高くしてあるな」とか、「こんな、役立たずな腕は切り落としたらええ」などと悪態をついているのです。確かに、倒れた本人が1番辛いのでしょう。でも、運転免許を持たない母は、毎日毎日自宅から徒歩で駅までいき、駅から病院まで徒歩でいき、一日中付き添いを繰り返し、二週間で10キロも痩せてしまっていました。母はダイエットだなんて言ってましたけれど、明らかに疲れを隠しているその姿を見ていたら、前向きにならない父が憎らしくなります。

私は、なんとか前向きになって欲しくて、「介護する側も大変なのだから、あなたも頑張ってください」と叱咤しました。さらに、ちょうど産まれたばかりの孫の写真を見せて、「3つ子で未熟児で産まれて、保育器に入って頑張ってるんだから、孫に会えることを楽しみに頑張って」とも。
これで父はなんとかやる気になってくれたようでした。
今まで、自分から行おうとしなかった歩行器での散歩を自主的に行おうとしたり、不器用ながらもリハビリに取り組もうとしていると、リハビリの先生にも褒められ「退院したら孫に、なんのプレゼントをしようかね」など、明るく前向きになったその姿に、少しホッとしました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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