これは今から約10年程前、脱サラして居酒屋を始めた大将とその妻である女将に起こった出来事です。
現在の私は離婚して一人暮らし。
近くに住む孫たちと楽しい日々を過ごしております。
【前回】離婚で家を売る切なさよ...家族の思い出が詰まった我が家を「査定」に出した結果
私は約20年ほど居酒屋の女将をやっていました。
居酒屋の女将だっていうからには話好きで明るくてさぞかし面白い人なのだろう?と思われている方も多いかも知れません。
けれど現実の私は暗くて無口で引っ込み思案な性格なのです。
旦那がサラリーマンとして勤めていた会社をリストラされた事で、半ば無理矢理客商売に付き合わされたのですから、好き好んで居酒屋の女将になったわけではないのです。
けれど飲食店でのアルバイト経験はあるし、接客には自信があったし、何よりも仕事を失ってしまった旦那を責めるよりも一緒に仕事をする事で励ませたら良いなという考えの方が先立ちました。
そんな中で一番、割を食ったのは3人の子ども達の方だったと思います。
当時高校3年生だった長女は進学をせずに店の手伝いをする事を選択してくれました。
私達夫婦と長女の3人が居酒屋の仕事に関わっている間は、当時中学生だった次女が小学生高学年だった弟の面倒を見ながら2人で留守番していました。
居酒屋は真夜中まで営業し、片付けを終えて家に帰る頃にはいつも朝方になっていました。
子ども達は3人とも環境が変わって色々と心境の変化があった事でしょう。
中でも次女は、私達が居酒屋を始めた数年後には高校受験を控えていたのに、晩御飯まで作ってくれていました。
私もカレーや煮物を作り置きしておくこともありましたが、仕事が忙しくなり、次女に頼ることも多かったです。
中学校のお弁当などは、私が店から帰った早朝に作りました。
朝食もおにぎりを作って置いておいたり、店からの帰りにコンビニでパンを買ったりする事もありました。
両親が居酒屋を始めたがゆえに子ども達に苦労かけた話は他にも山程あります。
家族みんなにこれ程苦労を背負わせておきながら、数年後に子ども達が自立した途端に旦那が始めたのはまず自分を癒すこと、すなわち「不倫」でした。
そりゃね、大学の入学費用や生活費や家のローン等もあるし旦那も色々と頑張ったと思いますよ。
私も長女も一緒に働いてましたけどね。
『俺はお前達よりも早く来てその分長く働いてる』
そういう台詞を吐かれたこともありましたけど。
じゃあ家事や育児は?ノーカウントなの?
私も長女も最初の数カ月給料貰っただけで、後はタダ働きでしたけどね。
けれどね、そんな環境で子ども達は誰1人グレずにまっすぐ育ってくれたことを感謝すべきなんじゃと思います。
旦那の不倫が発覚するまでは家族仲も馬鹿みたいに良くって、毎年家族で旅行に行ったり休みの日には皆で外食したりしてました。
こんな調子じゃ皆このままこの家で一生一緒に住むんじゃないかしらと冗談で語った事もある程でした。
ですが、私達が離婚した後は旦那から子ども達を心配して連絡をしてくる事はありませんでした。
今になって思えば、義務的に子育てに協力はしても愛情は薄い人だったなぁ。
あっ、だから家族のことより自分の快楽を優先したわけかぁ。
納得!
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