性別:女
年齢:73
プロフィール:義父が脳梗塞で倒れたとき、経済的な事情で、在宅では介護ができない状態でした。いろいろな施設を回って、最後に特別養護老人ホーム(特養)にお世話になることに。義父はとても根が明るい性格だったので助かりました。ホームのみなさんには最後まで大変よくしていただきました。
いまから23年前、78歳の義父が1年の間に脳梗塞で2回倒れました。最初の時は会話ができなくなり、近所の総合病院に入院しましたが、リハビリでかなりよくなったので退院。しかし3カ月後、朝起きてみると足が動かず床から起きられない状態になってしまい、救急車で同じ病院に搬送されて再入院することに。右手足に麻痺が残り、車椅子での生活になってしまいました。リハビリをしてもなかなかよくならず、最後には意欲もなくなってきた義父。ですが、一年たった時、病院から退院を勧告されました。
当時の我が家は、主人が零細工場を経営していて家計は火の車。私が在宅で図面の仕事を手一杯やってもかつかつな状態でしたので、とても在宅介護は不可能でした。まだ介護保険の制度がない時代でしたが、病院の相談室で隣町の老人保健施設(当時の名称)を紹介してもらい、なんとか入居することができました。
私は入院中も、施設に入所した後も、毎日義父の様子を見にいきました。老人保健施設は、在宅に戻るための訓練施設なので、3カ月しか預かっていただけません。でも在宅介護はどうしても無理なので、なんとか半年延長してもらい、一度退所して同じ施設内の特別養護老人ホーム(特養)にショートステイで過ごした後、また老人保健施設に入所させていただいたりしました。ですが、いつまでもいることはもちろんできません。
そこで、保健施設の相談員のアドバイスで、義父の入所中に、市の特養に申し込みをしました。もちろん順番待ちの状態で、その時の番号は27番目でした。それでも、まだその時代はよかったのでしょうか、一年足らずのうちに、入所できました。
老人保健施設は公共施設でしたので、費用は当時2万円ぐらいだったと思います。また、特養は3万円以下でした。義父の年金額は少なかったものの、それでも十分足りました。もともと収入が少なかったので、費用が最低額でよかったのも幸いしました。
介護老人保健施設(老健)は近くの市でも新しくできはじめて、病院の相談員に、希望の老健に入れない可能性もあるので、いくつも掛け持ちで申し込んだ方がいいとアドバイスをうけました。幸い当初希望した施設に空きができ、入居できました。当時は老人人口が今ほどではありませんでしたし、運がよかったと思っています。
現在は老健、特養ともにニーズが当時の倍以上と聞きます。民間経営の施設はいくつもできていますが、料金がとても高いので、市の特養から変わった我が家の近くの社会福祉法人の特養は、希望者が100人以上とか。ご近所も老人世帯がほとんどになっています。我が家も近いうち直面する問題なので、暗澹たる気持ちです。
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