「まだ子どもができないのか!」聞こえてきた義母の暴言。その後の義母との関係は...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:うさぎ
性別:女性
年齢:51
プロフィール:子どもが修学旅行に行きます。自分が行った時のことを思い出し懐かしくなりました。

「まだ子どもができないのか!」聞こえてきた義母の暴言。その後の義母との関係は... 38.jpg

2006年頃のことです。

結婚して8年たっても私たち夫婦(当時2人とも35歳)は、なかなか子どもを授かることができず、その兆しさえまだ見えていませんでした。

もちろん何もしなかったわけではなく、むしろ子どもはすぐにでも欲しかったので、不妊治療は比較的早くから始めていました。

実母(85歳)も子どもができにくい体質だったため、不妊治療していたと聞いています。

そのため、なんとなく私もすぐにはできない気がしていましたし、不妊治療を始めることにもあまり抵抗を感じませんでした。

ただ、不妊治療は「ここまで」というゴールがないので、続けることは精神的にも金銭的にもキツイものがあります。

私もいろいろな病院へ行き、不妊治療を始めては休んだり再開したり。

治療のために毎日通院しなければいけないときもあるので、時間の都合がつけやすい仕事に変更しました。

そして、環境を変えれば妊娠するのでは...と期待しつつ、いつもどこかに「なかなか妊娠しない」というのが引っかかっていました。

そんなときです。

私が洗面所にいるのを同居している義母(当時58歳)が気付かなかったのでしょう。

洗面所のすぐ隣のリビングには、夫(当時35歳)と義母がいました。

義母が夫に「まだ子どもができないのか、○○家を潰す気か!」と言っていたのが聞こえてきました。

それに対する夫の言葉は聞こえませんでしたが、おそらく黙っていたのかと思います。

私はリビングに出て行かないで洗面所に隠れていました。

そのあとにリビングに戻ったのか、義母がいなくなるまで隠れていたのか、自分の行動を覚えていません。

それくらいショックな出来事でした。

同居というのは聞かなくてもいい言葉まで聞こえてしまいます。

その1年後、私は妊娠しました。

安定期に入ってから義母に報告し、大変喜んでくれましたが、あの言葉を忘れることはできません。

「○○家を潰す気か!」といっても義父は長男ではありませんし、田舎で義父の兄(享年80歳)が家督を継いでいます。

義母は自分がそんな言葉を言ったことも忘れていると思いますが、私はこの先もこの言葉を忘れることはできないと思っています。

13年前に義父が亡くなり、いまは義母もすっかり弱くなって私を頼ってばかりになりました。

同居していますし、できることは手伝いますが、手伝わないと「なんで私をいじめるの!」などと言ってきます。

義母がこれから変わることはないでしょう。

やはり、義母とは心の距離を保って生活するのが私の健康につながる気がします。

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