ヒステリックに怒られ、「まったく楽しくなかった」かつてのピアノのレッスン。その指導者は今も...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:みわちゃん
性別:女性
年齢:62
プロフィール:生徒たちと向き合い、豊かになって欲しい思いで、ピアノの指導をしています。

ヒステリックに怒られ、「まったく楽しくなかった」かつてのピアノのレッスン。その指導者は今も... 46.jpg

ピアノのS先生(現在70歳代前半)の話です。

いまではピアノの指導法は褒めて育てる方法が主流となり、叱るような指導法は少なくなりました。

しかし、私が子どもの頃は「厳しいだけ」のスパルタレッスンが、ピアノ指導の多くを占めていました。

頭ごなしに怒られる、手を叩かれる、心が折れるような言葉...。

そんな教室に通っていたら、自ずと負けず嫌いになり、気持ちも強くなっていました。

いまから40年ほど前、S先生(当時30歳代前半)は、私の恩師のY先生(当時50歳代)の下で指導を始めました。

私はY先生には4歳から、S先生には小学校5年生の時から指導を受けました。

Y先生は、その当時としては珍しいほどの優しい先生でした。

ただ、自身の演奏の実力をよく理解されていて、子どもたちの学年が上がると、より高度な演奏ができるS先生に担当を変えるようにしていたのです。

そのS先生ですが、いつもヒステリックに怒っているだけの人でした。

音楽の豊かさ、素晴らしさを教えてくれたことはほぼなくて、レッスンが楽しかったことなど一度もありませんでした。

ずっと辞めたいと思っていましたが、ヒステリックなまでに子どもにピアノをさせたい母の意向から、ピアノを辞めることもできませんでした。

恩師のY先生もS先生のやり方には困り果てていたそうで、指導法に相容れないものがあるので辞めてほしいと伝えたことがあるそうです。

ですが、S先生はこれに対して激しく抗議し、そのまま居座ってしまったのだとか。

それからいまに至るまで、S先生は自我を押し通し、すぐぶち切れるお騒がせ先生として、ピアノの指導をしてきました。

近年、Y先生が90歳で亡くなられ、メモリアルコンサートを開くことになりました。

Y先生からはありがたいことに「あなたは私の一番弟子なのよ」といつも言われていました。

だから、天国のY先生に喜んでもらえるようなコンサートにしたいと意気込んでいたのですが、当然のことながらS先生の独壇場になってしまいました。

S先生は、やりたいプログラムと演奏者たちを一方的に決めてしまいました。

私は連弾(2人で演奏)を割り当てられたのですが、両手とも同じメロディーを弾くだけという、簡単な曲の演奏をするようにお達しがありました。

ピアノをやってらっしゃる方なら分かると思うのですが、ピアノの教師をしている私に、この選曲はあまりにも簡単すぎで、むしろいやがらせなのでは? と思うほどでした。

さらには、コンサートで難しい曲を演奏するのも、簡単な曲を演奏するのも、また長い曲も短い曲もすべて同じ参加費を払えとのお達し。

さすがに納得ができませんでした。

S先生に「ほかの曲ではだめですか?」と聞いたところ「私の決めたことに反対するわけ?」と返してきました。

もう私も言いなりになるような年齢ではないですから「では、参加しません」ときっぱりと断りました。

優しいY先生なら、天国できっと分かってくれますよね...と思いながら。

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