こんにちは山田あしゅらです。
義両親の在宅介護の様子を嫁の目線で綴った ブログ『13番さんのあな―介護家庭の日常―(現・13番さんのつぼ)』。
ここに書いてきた13年間の記録をもとに今の気持ちを織り交ぜつつ、改めて当時のことを振り返ってみようと思います。
【前回】認知症は全てを「消し去ってしまう」病気ではない。義母の「衝撃の一言」から学んだこと
ジワジワと増やしていった義父母二人のデイサービス利用日。
お陰で日中、二人が家を空ける機会は増えました。
しかし、当人の体調が悪ければ休まざるを得ないことも多く、行けるかどうかはその日の朝にならないと分かりません。
介護者の予定はそれによって左右されるため、先の見込みを立てることは難しく、解放感を得るまでには至りませんでした。
別に望んだわけではありませんが、日々介護に追われるうちに気がつけばそれが自分の定位置になっていた...そんな感じでしょうか?
今でこそ親の介護に悩む人は増えて来ましたが、当時は私の周りで『介護』に携わる知人はまだ少なく、相談相手もありません。
2008年から書き始めたブログを10年以上も続けられた理由は、私と同じ立場で介護に悩む人たちからのコメントが救いとなっていたからです。
おそらく、『13番さんのあな』がなかったら、予想外に長くなった義両親の介護が続けられたかどうか分かりません。
けれど反面、私がますます家にこもる要因にもなっていたようです。
この日もいつものように買い物に出かけたところ
途中で、かつての『ママ友』とバッタリ。
彼女は久々の再会をとても喜んで「ちょっとお茶でも飲んでゆっくり話さない?」と誘ってくれたのですが
と、話もそこそこに私は彼女の申し出を断ってしまいました。
後で考えれば、家に置いてきている義父は口実。
家に居る時はほとんど動き回ることもなくなった義父ですから、別に急いで帰る必要もないのです。
彼女と別れたあと「何でゆっくり話が出来なかったんだろう?」と反芻する私。
そしてリアルな人付き合いが億劫になってしまった自分に気づき少々愕然としました。
スーパーのショーウインドウに映る化粧っけがない顔が随分老けて見えるのも嫌でした。
人を避けるように買い物を急ぐ自分も嫌でした。
隠したいのは自分の心。
もしかしたら彼女は私の話を親身になって聞いてくれたかも知れないのに...。
雪がチラつく2月の空。
ホントは義父が待つ家に帰りたくない私でありました。
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