性別:女
年齢:54
プロフィール:近くに住む姑と、同居する要介護1の85歳の父、嫁と娘の二つの立ち位置で、それぞれの生活を手助けする介護人(かいごびと)です。
脳内出血により体が不自由になった母との20年にわたる老老介護生活を終えたあと、8年間の独り暮らしを続けていた父は、気付くと85歳になっていました。「気付くと」なんて随分と冷たい娘のようですが、私は私で近所に住む認知症の姑の介護をしていたので、遠距離に住む父のところに帰省する時は姑をショートステイに出さなければいけません。なので、母の命日のある7月とお正月の年に2回しか父には会いに行けませんでした。いわば放ったらかしです。認知症である姑の様子から比べると父はまだまだしっかりしているようにみえ、遠方に暮らす兄がゴールデンウィークに帰省した時には、特におかしなところはなかったという報告もうけていたので、安心していました。
ですが、6月初めのころ、早朝に起床、夕食6時で9時就寝という規則正しい生活していた父が、夜と昼とを間違えているような電話をかけてくるようになり、そのうち通帳をどこにおいたかわからなくなって困っているのでいい方法はないかと聞くのです。誰が聞いてもおかしい状態なのに、こちらに来て同居することをすすめると、「独りで暮らす方が気が楽でいい」と断られました。
いまから思うと、2年ほど前から、薬を飲み忘れることが増えたとか、小銭を財布から出すような作業がしづらいとか、一人で外出するのが怖くなってきたなど、すでに認知症発症のサインは出始めていました。ですが、「まだ独りで大丈夫」の申告を真にうけていた私。買い物帰りに転倒してけがをしたり、昨年のお正月には宛名を間違えて廃棄になっているかなりの数の年賀状を目にしても、高齢になっているからしょうがないのかな、と思い込んでいました。
そんな父の様子から、そろそろ一人暮らしは無理になってくるかな、と思いながらも、姑や夫への気兼ねもあり、何もできないまま帰省する7月になりました。
家につくと、異臭がします。なんと、父はすでに曜日の感覚が完全に欠落してごみが捨てられなくなっていたのです。冷蔵庫の中はほぼ空に近い状態なのに古いものだけ残り、食事もちゃんと作れていないし、取れていない様子。予想以上の状態に、もうこれ以上は放置できないと感じました。その場で、父との同居を決断しました。そして、父には、認知症は一人で暮らせないのだと説得しました。
引っ越しするまでの間、私が離れていても何とか父の認知症が進まないようにするために、父のケアマネージャーと相談し、週に1度だったヘルパーの日を日曜日も含めた毎日に変更、また渋る父を説得して週に2回のリハビリ型のデイサービスも追加しました。1年前に一度体調を崩して動けなくなったことで介護認定を受け、要支援1をもらっていたことが救いとなりました。すぐに介護認定の区分を要介護1変更してもらいました。連日1時間のヘルパーさんの派遣は要介護1の利用限度額を超えて自己負担となってしまいましたが、とにかく1日1回でも家に来てもらうことを優先させました。そして、私も朝7時に電話をいれて父を起こしてゴミ捨ての指示を出すなど、毎日朝昼晩と3回は父と連絡をとり、規則正しい生活をなんとか維持することにしました。姑の介護もあり、怒涛の日々でした。
いまから考えると、父本人もなんだかおかしいと数年前から気づいていたのではと思います。ですが、兄は仕事で忙しく、私は姑の介護で忙しく、父なりに子どもに迷惑はかけられないと頑張っていたのかもしれません。認知症といっても、しっかりしているときもあればそうでないときもあるなど、状態に波があります。電話でもおかしいのが伝わるということは、認知症が随分と進んでいるということで、ついに隠そうにも隠し切れないような状態になったから私が知ることとなったのかもしれません。
我が家にきてから、父は認知症を伴ったパーキンソン病だったことがわかりました。父を独居から同居に変えたタイミングは、ギリギリだったと思います。あれ以上遅かったらもっと大変なことになっていたかもしれません。私にとっても父にとっても、環境が大きく変わってしまったけれども、近くに呼び寄せたのは正解だったと思っています。
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