<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ルーナ
性別:女性
年齢:52
プロフィール:感謝と思いやりを忘れずに、笑顔で過ごしたいと思う毎日です。
2022年夏、76歳になる母が天国に旅立ちました。
突然の出来事でした。
私は18歳の頃から母と離れて暮らしていました。
就職を機に、一人暮らしを始めたからです。
今思えば、なんで家を出てしまったのか、後悔の気持ちでいっぱいになります。
母子家庭だったので、私が家を出てしまったら母が一人になってしまうのに...。
母は34年間、一人で暮らしていました。
家を出た私は仕事に追われる日々。
休日になっても遊びを優先して、実家にはほとんど帰りませんでした。
当時、私も若かったせいか自分の時間が優先で、一人で暮らす母を心配することもありませんでした。
そうしているうちに、私も結婚し、家庭と仕事の両立でますます帰ることが少なくなりました。
しかし、これらは言い訳で...。
本当の理由は、私自身が母との間に少し距離を感じていたからです。
もともと母はおしゃべりなタイプではなく、周りの人たちの話を「うん、うん」と聞いているような人でした。
それは親子関係でも同じで、いつも私の話に相づちしているだけでした。
母の「うれしい、楽しい、寂しい」そんな感情を感じたことがありません。
母は私が家を出た後も、滅多に連絡をしてこない人でした。
娘である私のことを好きではなかったんじゃないか? と思うくらいです。
そんな気持ちからなのか、久しぶりに会ってもけんかになることがしばしば。
けんかと言っても、私が一方的に怒っていたことがほとんどでしたが...。
母の気持ちも分からない、親孝行らしいこともしていない...そんな中、突然母は亡くなりました。
最後まで一人きりだった母。
家を出てから、今まで経験したことのない感情が私を襲いました。
「もっと会いに行けばよかった」
「もっとたくさん、話をすればよかった」
「もっと優しくすればよかった」
もっと、もっと、もっと...後悔がこみ上げてきて、子どものように泣き叫び、崩れ落ちました。
四十九日が終わったある日、母の部屋を掃除していると、日記帳を見つけました。
私は母が日記を書いていることすら知りませんでした。
ためらいましたが、母が何を思いながら暮らしていたのか知りたくて、日記を見てしまいました。
そこには丁寧に書かれた母の字がありました。
「今日は私の誕生日。何が欲しいと聞かれたけど、欲しい物はない。声が聞けただけでうれしいよ」
「元気でいるかな? もっと遊びに来たらいいのに」
「幸せそうで良かった。何もしてあげれず、申し訳ない」
ほとんど毎日、私の名前が書かれていました。
こんな形で母の気持ちを知るなんて...愛情にあふれた日記を読むうちに、涙で何も見えなくなりました。
ずっと私のことを思い、見守ってくれてた母。
心から「ごめんね」と「ありがとう」を伝えたいです。
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