<この体験記を書いた人>
ペンネーム:なんとも
性別:女性
年齢:54
プロフィール:私+夫+高3長男+高1長女の4人家族。気が付けば長男は私の身長を、長女は私の体重を軽く超えていました。
50代半ばの主婦です。
今から18年前、夫婦で妊活中だった頃の話です。
私たち夫婦は同い年で、30代半ばで結婚し、私は約半年後に妊娠しました。
しかし、初期流産してしまったため、生まれてくるはずの子に会うことはできなかったのです。
夫婦で落ち込んだものの、すぐに妊活を再開。
それから間もなくして再度妊娠が分かり、私たちは喜び合いました。
周囲の方々にも心配をかけてしまったので、できる範囲で報告に行ったものでした。
もちろん、母(当時60代後半)にも報告。
最初は「え?」という感じでしたが、すぐに「良かったね〜」と笑ってくれてホッとしました。
しかし次の瞬間...母はとんでもないことを口走ったのです。
「前のようなヘマはもうしないようにね」
最初は何を言われたのかピンときませんでしたが、帰宅してから猛烈な怒りに駆られ、夫にその想いをぶつけました。
夫も母の発言に引っかかりはあったものの、私が何も言わなかったので黙っていたようです。
初めての妊娠が初期流産で終わってしまい、それが「ヘマ」の一言で片付けられたのが何とも悔しくて悲しくて仕方がありませんでした。
母自身も流産の経験があると聞いていただけに、あの発言は信じられません。
「お義母さんは歳を取って、昔自分が経験したつらい記憶はだんだんと遠のいていってるんだよ。だから悪気は全然ないと思うよ。何よりも孫の誕生を喜んでくれているんだから、許してやろうよ...」
夫はそう言って私を諭しました。
私は納得できませんでしたが、母を許すことにしました。
それから順調な妊娠期間を経て、長男を無事に出産。
母は出産当日に見舞いに来てくれて、長男を食い入るように見つめ「かわいいねぇ」を何度も何度も繰り返していました。
そんな母を見て、私の心も幾分は晴れたと思います。
母は初節句に立派な鯉のぼりを贈ってくれました。
相変わらず口の悪い母でしたが、不器用ながらも孫にできることをしたかったのでしょう。
その心遣いには今でも感謝しています。
ちなみに実父は要介護の身体で、しかも認知症も若干進んでいたため、おじいちゃんとしてできることには限りがありました。
父は程なく他界し、母は未亡人となってしまいました。
それから約2年後、長女が誕生し、今度を雛人形をお祝いにくれました。
さらに2年後、私はまた妊娠したものの初期流産してしまい、ただちに手術処置をすることとなりました。
すでに子どもは2人いるとはいえ、やはり喪失感は拭えませんでした。
一応、病院から電話で母にも報告すると、またまたとんでもない発言が...。
「お腹の中をきれいさっぱりとしちゃいなさい!」
もう、私は何も言わずに電話を切りました。
この人の口の悪さが直ることは永久にないんだ、と自分に言いきかせるのに必死でした。
このモヤモヤは金輪際収まることはないでしょう。
今現在、母は80代の高齢ゆえ、地元の特別養護老人ホームに入所しています。
コロナ禍のため面会はままなりませんが、顔を合わさずに済むのでホッとしている私。
こんな私は情の薄い娘でしょうか...。
人気記事:《漫画》「マスクちょうだい」と厚かましい友だちが毎日娘につきまとう! え、親も共犯!?<前編>
人気記事:《漫画》土産に高級ステーキ肉を持ち帰った私。受け取った義母の反応が...なんか変?<前編>
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。