認知症になり、家族に手を上げるようになった父。でもその最期は音楽のチカラで穏やかな笑顔に...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:みわちゃん
性別:女性
年齢:61
プロフィール:音楽の力って凄い。自分のできる音楽で皆さんに恩返しをしたいと思っています。

認知症になり、家族に手を上げるようになった父。でもその最期は音楽のチカラで穏やかな笑顔に... 22.jpg

今から16年前、父の喜寿のお祝いで、家族で上諏訪温泉に行きました。

ここは、父が満州から引き揚げて来たときに、母親と駅のホームで奇跡の再会を果たした場所です。

みんなでお祝いの膳を囲む中、「パパ、これから何をしたい?」と、私(当時45歳)が父に尋ねました。

パパは「...そうだなぁ。やっぱり勉強がしたいなぁ」と答えました。

80歳を前にしてまだ向学心があるのか、やっぱり凄いなと思いました。

でも、それから1、2年たった頃から、父は物忘れがひどくなり、同じことを繰り返すようになったのです。

「お財布はどこにいったかなぁ?」

認知症あるあるです。

「パパ、今までたくさん働いたでしょ。だから国がもうお金の心配はしなくてもいいですよって言ってくれているのよ。もうお財布はなくても大丈夫なんだよ」

私がそう言うと、「そうか」と、そのときはそれで終わりました。

そのうち、父は家族に手を上げるようになりました。

私たち家族(母、妹)は、座布団を盾に防御することもありました。

お風呂に入れるとお湯をかけられたこともありました。

でも、私の中では、父は長い間のストレスが爆発してしまったのだろうと感じていました。

家族のために一生懸命働き、私たちはそれが当たり前のようになっていたからです。

本当に父のことを気遣ったことはなかったのではないか、父の心の叫びは何だろう?と思いました。

そして、今の父に何かしてあげられることはないかと考えたのです。

父は音楽が大好きでした。

幼い頃はビール瓶の箱に乗って、指揮者の真似をよくしていたそう。

ピアノが弾ける私は父の好きな音楽を弾くことにしました。

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトのようなクラシックから軍歌、演歌に至るまでいろいろです。

父の呼吸に合わせてピアノを弾くと、自然に口ずさみ始めました。

機嫌があまり良くないときでも、私がピアノを弾くと歌い出し、少しずつ表情が和らいでいきました。

また、驚くことに音程がばっちりなのです。

「えっ!? パパ、絶対音感があるじゃない!」

なんと80歳を超えて父に絶対音感があることが判明しました。

指揮者をするテレビゲームにも挑戦。

大きく腕を動かしてメロディーを口ずさみながら、豊かに指揮を始めるのです。

「パパ、この曲の題名知ってる?」って聞くと「G線上のアリアだよ」なんて、答えることもできるのです。

デイサービスに行ったとき、父に語りかけて私が歌い始めたところ、父も続けて歌い始めました。

すると、同じ部屋にいた人たちまで一緒に歌い始めます。

いつの間にか、歌が部屋を埋め尽くしたのです。

歌は強制するものではない、心から歌うものだと痛感をした瞬間でした。

父は音楽に包まれた日々の中、穏やかに83歳の生涯を終えました。

とても優しい笑顔をしていました。

人気記事: 《漫画》「手伝います」「いいよ大丈夫」義実家でしどろもどろの私。食事は外食になったけど<前編>
人気記事: 《漫画》止まらない涙...10歳の私が「酒好きの父」を避けるようになった母の誕生日での出来事<前編>

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP