<この体験記を書いた人>
ペンネーム:とらとら
性別:女性
年齢:53
プロフィール:アラフィフ兼業主婦。身内の命日は欠かさず手を合わせるようにしています。
今年54歳になる兼業主婦です。
10年ほど前、実父を病気で亡くしました。
享年71歳でした。
実父はもともとがん家系で、父方の親類はがんで亡くなる方が多く、実際父も若い頃に胃がんの手術をしており、70歳の時にすい臓がんが見つかっていました。
治療は受けていましたが、進行が思ったよりも早く、お医者さんから余命宣告を受けたときは父も覚悟していたようで、落ち着いていました。
父は昔気質で、頑固で物静かな人でした。
口数も少なく、例えばまあまあの金額の宝くじが当たったときも母(現在74歳)は飛び跳ねるように喜んでいたのに、父は「ほな、外に食事にでも行こか?」と静かに言うだけ。
飼っていた犬が亡くなって私がわんわん泣いていたときも、何も言わず、ただ黙って隣にいるだけでした。
私から見ても喜怒哀楽が分かりづらい人だったと思います。
母や私に対して怒鳴り散らすことはありませんでしたが、褒めることもそんなになかったです。
その代わりと言ってはなんですが、父は最期までつらいなど弱音は一切口にせず、この世を去っていきました。
亡くなる少し前から薬を受け付けず、お医者さんからも「相当つらいはず」と言われていました。
亡くなる直前も酸素マスクの中でぜいぜいと荒い息を繰り返し、もう呼吸をするのさえもつらいはずですが、「しんどい」と父が口にする姿を見たことも聞いたこともありませんでした。
そんな父の最期の言葉が今でも忘れられません。
ある日、父は着替えを持ってきた私に対しておもむろに「お前、お母さんによう似とる」と言い出しました。
だいぶかすれた声でしたが、私は椅子の下の棚に父の着替えを入れながら「いきなりどしたん?」と聞き返すと、父がゆっくりと話します。
「...もうちょっとしたら今のお母さんそっくりやったろうな。お前がお母さんに追いつくの、もうちょっと見てみたかったわ」
今日はやけに口数が多いなと思った私は「ほなしっかり見といてや」と返しましたが、そのときにはもう父は眠りについており、その後は目覚めることなくこの世を去っていきました。
それから10年たちましたが、私は鏡を見るたびに「お母ちゃんそっくりになったよ。父ちゃん」と、その時の父の言葉を思い出して涙があふれそうになります。
もう少し近くで見ていてほしかったと思いながら、父の仏壇に手を合わせています。
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