<この体験記を書いた人>
ペンネーム:けんけん
性別:女性
年齢:51
プロフィール:実母(80歳)息子(13歳)の3人で、ちょっと田舎に住んでいます。
今から15年前ぐらいの話です。
私(当時36歳)はとある整形外科の病院でマッサージの仕事をしていました。
超過勤務も当たり前のブラックな職場でした。
そこに、私よりも若い男性の鍼灸師の先生・T先生(当時29歳ぐらい)が医院長先生の引き抜きでやってきました。
子どもの頃に小児がんを患ってから完治した経験があり、これからは自分が病気の方を治したいという想いから鍼灸師になったと聞きました。
T先生は医院長先生とは古くからの知り合いらしく、頼まれて勤めることになったそうです。
実家住まいのため、通勤には片道2時間以上かかるとのことでした。
冬の出勤時、自宅周辺の写真をT先生が見せてくれたことがあったのですが、びっくりしました。
まだ真っ暗で、街灯がいくつか灯っているだけ。
他の同僚が「豆腐店並みに早いのでは?」と聞いていたぐらいです。
T先生は退勤時間も私より遅かったので、1日どれくらい働いているのか心配でした。
医院長先生は勤務時間外に別料金の施術をすることを推進していました。
そのため、T先生は時間外に何人も施術をして、休む時間も少なかったように思います。
そんな激務のなかでもT先生は親しみやすく、利用者の方々から人気でした。
それもあって頑張り過ぎてしまったのかもしれません。
2年ほど一緒に仕事をしていましたが、ある日、T先生は体調を崩して長期入院することになってしまったのです。
私は都合が合わずお見舞いに行けなかったのですが、他の方たちがお見舞いに行かれたときにこんな話を涙声でしてくれたそうです。
「彼女に別れようと話をしたけれど、嫌だと泣いて断られた」
それを聞いて嫌な予感がしました。
それから半年後ぐらいにT先生は亡くなってしまいました。
がんが再発したとのことでした。
お通夜には同僚数人と参列しました。
T先生のご両親は通勤時間がかかり、勤務時間も長いうちでの仕事を反対していたそうです。
ご両親は「無理がたたってがんを再発させて亡くなってしまった」と、 整形外科からの献花や医院長の参列を拒否していました。
ご両親の無念さが伝わるような静かで、重い雰囲気の葬儀でした。
その後、医院長は病院関係者にT先生が亡くなったことを他言しないように通達しました。
私もそれを守っていましたが、退職する日、利用者の方々にT先生が亡くなったことを伝えました。
利用者の方々に親しまれていたのに、その死を悼まれないのは気の毒だと思ったからです。
T先生の死を公表しない医院長へ不信感が募るとともに、T先生を死に追いやったのは、やはりこの職場だったと思うのでした。
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