腰痛に手の震え...抗えない老化と向き合いながら音楽活動を続ける決意

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ペンネーム:maro
性別:男
年齢:60
プロフィール:中学校教師を経験して後、依願退職。その後フリーで音楽活動を展開し主に作編曲を中心に活動中。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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私が音楽の世界へ歩みを進めるきっかけとなったのは、中学校で吹奏楽部に所属しユーフォニアムという楽器を始めたことです。高校ではその楽器を専攻し楽器奏者として活動したいとの思いがあったのですが、残念ながら40年前以上の日本の高校にはこの楽器の専門コースがありませんでした。

そんな経緯があって、高校・大学の7年間では音楽の専門の学校で作曲の勉強をしたほか、弦楽器や管楽器の伴奏を始め歌や合唱・オペラの伴奏など多くを手掛けました。この7年間の経験が、後々に教師を辞めたあと演奏家として生きていく上でとても役立ったのです。

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若い時に勉強したことや経験したことというのは、不思議と今の年齢になっても忘れずに、この身体や頭の中にきちんと残っているのなのだなと感じずにはいられません。

ピアノであれば指だったり、サウンドであれば耳の使い方であったりと、若い時に育んだ音楽技術をもとにした表現や感性などは衰えることはなかったのです。むしろ、今の方がより繊細に感じたり表現したりできる様になっていて、自分に喜びを感じることも多くありました。

ただ、楽器を使用しての音楽表現というのは、どんなに負担の掛からない使い方であっても肉体の限界との戦いでもあるので、見掛けとは全く違い、かなりハードな肉体労働でもあります。

演奏活動の中で私が多くの時間を割いて活動していたのはピアノ伴奏でしたが、ピアノを弾くということは長時間に渡って同じ姿勢で椅子に座って引き続けなければいけません。私はこのピアノ伴奏という世界への思い入れが特に強く、義務感を持って取り組んでいた部分もあって、腰痛を伴なう時間も多くなっていきました。そして、座る時間を減らすために吹奏楽や合唱などの指揮活動をする様にもなっていきましたが、そのことがきっかけて首を痛めてしまいました。

首を痛めたのは40代でした。その頃には細々と編曲活動を始めていた時期でもあったのですが、楽譜を書いていると指の動きが悪くなり、そのうち手が震えてくることも多くなりました。断続的な耳鳴りも多くありました。病院へ行けば、手術になる可能性が高く、肉体の機能回復がのぞめたとしても音楽活動ができなくなるリスクがありました。そこで私はこれらの症状と人生最後まで付き合いながら音楽活動を継続していく決心をしました。身体にメスを入れず、自分ができる方法で肉体をメンテナンスしていこうと。

そう決心したことで自筆による楽譜作成を諦め、パソコンを購入し楽譜作成ソフトを使用しての作編曲活動へと切り替えることができました。

この年齢であっても音楽活動を通して自分を必要としてくれる人がいて、若い時に鍛錬し続けた音楽の歩みは間違っていないのだと感じられるのは本当に良かったと思っています。

これからは老化と戦いながらの音楽活動になりますが、今も、そして今後も継続していきます。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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