性別:女
年齢:40代
プロフィール:40代の専業主婦です。休みの日は夫婦で道の駅などへドライブをして過ごしています。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
◇◇◇
父が亡くなって数年。
私も結婚して、夫婦とは......と考えることが多くなり、父の「夫婦感」ってどんなものだったのだろうと思うことがあります。
両親は父が28、母が23の時に、父からのアプローチで結婚したと聞いています。結婚から2年後私が誕生し、翌年には妹が生まれました。
残っている写真で、とてもかわいがってもらっていたのがよくわかります。
しかし、父が子供以上に好きだったのがお酒でした。
母は車の免許を持っていなかったので、小さかった私が熱を出した夜、急に病院に連れて行かないといけなくなった場合に備えて飲酒しないで寝てほしいとお願いすると「タクシーを呼んで行け」と話したらしいです。家族でどこかへ出かけても15時頃には帰宅、その後飲酒、18時には就寝。
そんな生活がずっと続き、退職後は朝からお酒を飲む生活になりました。
孫を数時間見ていてほしいと頼むと、午前中なら良いが午後は酒を飲むからダメだと言い、迎えに行くと酔っぱらって寝ている父の横で孫は遊んでいました。
家計のやりくりは経営者だった父が結婚当初からやっており、母には食費や雑費を渡していたようです。年金生活になってからもそれはかわらず、母に渡す生活費を削ってでも、お酒の購入はやめず、かえって増えていったと聞きました。
娘の私たちはそれぞれ独立し、結婚して家庭があります。もう世話をかけることもないし、両親には自分達だけのことさえやっていてくれれば、と考えていたのですが、そうはいきませんでした。
ある時、父がアルコール中毒で入院したのです。ほとんど意識がなかったので家族で家中を探し、貯金通帳や年金手帳などを見つけると、残高はほぼ0円でした。
父は、ほんとうにすべてのお金をお酒に変えていたのです。
その後まもなく亡くなくなり、母は途方に暮れていました。
途方にくれたのは私も同じでした。
父は母のことをどのように思っていたのか。
母に相談もなく生命保険を小さくする手続きをして手元に残るお金を増やし、そのお金はお酒に消え、母へ渡す生活費を減らして飲酒。車を手放し現金に変え飲酒。
そうして何も残すことなく、亡くなってしまいました。
父が亡くなってほんの少しの生命保険が受け取れることになりましたが、それを大切に残そうということになり、父は火葬だけで葬式はせずに共同墓地へと埋葬しました。今の母に1円でも多く残してあげたいという私の長女としての判断を、母も妹もわかってくれました。
アルコール中毒の父との生活から解放され、遺族年金を受け取ることができた母は、父がいた時よりも余裕のある生活ができているようです。娘としても母の生活が安定しており、良かったと思っています。ただ、父のことを考えると今でも気持ちの中にもやもやしていることがあります。
父は残されたお金が無くなっていくのはわかっていたと思います。自分に何かあった時、母はどうなるかは想像できたと思います。
無責任に「娘がどうにかするだろう」とか「どうにでもなればいいんだ」と考えていたのだろうか......。
40年以上連れ添った夫婦なのに最後がこんな状態で、父は幸せだったのだろうか。
父が残したほんのわずかな死亡保険金が、最後の母への気持ちだったのか。
解約することなく保険を持っていたということは最小の理性があったということなのか。
今では父に聞くこともできないので、命日がくると「どういう気持ちだったの?」と心の中で問いかけてしまいます。
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