こんにちは山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を嫁の目線で綴り始めて10年が経ちました。
前回の記事:頑なにデイサービス利用を拒む義父。義母の通所にまで口を出し.../山田あしゅら
義父の横やりを受けながらも義母はデイサービスライフを楽しく過ごしておりました。
お蔭でそれまで悪化するばかりだった認知症の進行も少し落ち着いていたように思います。
今回は、義母に関する私の後悔についてのエピソードです。
義母は元々家事が苦手で、私が嫁いで来るやいなやほとんどの家事をしなくなってしまいました。
看護師として働いていた頃はそれでも良かったのですが、(私が嫁いで10年ほど、70歳までパート看護師を続けていました)辞めた後は、家の中での役割はありません。
まるで定年退職後のお父さんのようなものです。
在職中から続けていた絵画教室も、リタイア後しばらくは熱心に通っていましたが、認知症の症状が進むにつれそれも難しくなっていきます。
趣味は生活に潤いを与えてくれるものですが、持続させるのは自身の都合や気持ち次第な一面もあります。
仕事や家事が『やらないと困る』ことであるのに対し、趣味は休めば『滞り』辞めてしまえば『それでおしまい』に出来るということなのです。
家事、特に料理などは結構頭を使います。
冷蔵庫の在庫を見据えて買い物をし、下ごしらえ、コンロの口数に合わせて加熱の順番を考え調理。盛り付けて家族の食事時間に合わせて温かいものを提供する...。
慣れてしまえば自然に手順が浮かび手際よく出来ることも案外頭の体操になっているんではないでしょうか?
後になって考えてみると認知症の症状が顕著になるまで、それらの機会を嫁である私が,
ことごとく退職後暇を持て余した義母から奪ってきたようにも思うのです。
認知症であることが分かってからは、少しずつ義母にやってもらうことを増やしていこうとしましたが...
長い間やって来なかったことをいきなりやらされても、上手くいくはずもありません。
作業中は逐一そばについていなければならなかったり、後でやりなおさなくてはならなかったりで、かえって手間がかかってしまい、お互いなんとなくやらなくなってしまいました。
義母がまだ元気でしっかりしていた当時は、嫁姑の確執もあり、若かった私は自分の居場所を固持するのに必死でした。
認知症は家事にいそしむ主婦もかかる病気ですので一概には言えないかも知れませんが、「元気なうちにもっと家事分担をお願いしていればよかったのではないか」「当時の関わり方が、少なからず義母の病気の進行を早めてしまう原因だったのではないか」そんな後悔もちょっぴりあるのです。
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