「もうあの子は戻ってこない」。手が離れて考える、子供の選択と親の生き方

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ペンネーム:レオン
性別:女
年齢:52
プロフィール:両親は既に他界し、実家はありません。全力で両親の介護をしてきました。望んだわけではありませんが、現在、ひとり暮らしです。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

早いもので息子が来春大学を卒業します。息子が小学校3年生の時に離婚してから、女手一つで育ててきました。当時私は39歳。息子10歳でした。


「母子家庭だからダメなんだ」と世間から卑下されないように、また、子供自身も母子家庭であることに引け目を感じないように、両親がそろっている家庭以上に頑張って育ててきました。習い事・留学・塾と本人の希望はよく話し合い、ほぼ受け入れました。もちろんその資金を稼ぐために、私は昼も夜も働きました。子供のために精一杯のことをするのが、親として当たり前だと思っていたので、自分の時間がなくても何とも思いませんでしたし、私自身の欲しいものは特になく、子供が笑顔で健康でいてくれることで十分幸せでした。


そんな暮らしが数年続き、息子が高3の2月、大学受験を迎え、地元国立大学と東京の私立大学に合格しました。私としては経済的なことを考え地元の国立大学に入学して欲しかったのですが、経済的な理由で子供の進路選択を狭めることはしたくないとも思っていました。夢や憧れを諦めさせることは、親としてできないと思い、東京の私立大学に行きたいという本人の希望を受け入れました。学費を稼ぐために、これまで以上に働くことは覚悟ができていました。


18歳の3月下旬、子供は東京へ。そこから私の生活が大きく変わりました。家事の量が一気に減り時間に余裕が生まれました。ただ、帰宅しても会話する相手がいません。それまで仕事で嫌なことがあっても、子供の笑顔を見て、子供の話を聞くだけで気分転換ができていたのだということに改めて気づかされました。
また、子供が離れるまでは、食事は誰かのために作るものだと思っていました。冷蔵庫にあるものを頭のなかに入れ、スーパーで息子が好きなもの、食べたいもの、栄養を考えて短時間で手際よく作っていました。料理は決して嫌いではありませんでしたし、料理の味も悪くはないと思っていました。
ところが一人暮らしになると、食事を作ることに張り合いがなくなり、作ることに意味を感じなくなりました。また、一人で食べる食事は味気なくて寂しいものでした。徐々に食生活が乱れ、体調も悪くなりました。
「まだ、仕送りをしなくてはいけない。まだ、働かなくてはいけない」と思い、自分のために食事を作ろうと奮起。栄養バランスを考え、一品で全栄養を採れるようなメニューを作るようになりました。


それから4年が過ぎようとしています。就活の時期になり当然地元に帰ってきてくれるものだと思っていたのですが、息子は首都圏での就職を決めてしまいました。
「もうあの子は私の元には戻ってこない」
そう思うと悲しくて、幼稚園、小学生の頃の息子の顔や、柔らかくて小さな手や、「ママ、あのねー」と話してくれた可愛い声が何度も思い起こされます。中学時代、反抗期にも関わらず忙しい私のことを気遣い家事を手伝い、じっと我慢していてくれたこと。高校時代、自分の道を模索していた息子と、並んで一緒に料理をしたこと。いろんな時代のいろんな表情の息子の顔が浮かんでは消えました。
そしてまた、いつか息子が家庭を持ち家を建てたいと言った時に、私の部屋部分の建築費の資金を提供して、一緒に暮らしたいと考えていたけれど、この夢もあきらめた方がいいのだということも感じています。


自分の人生を歩み始めた息子に、私は口出しをすることができません。子供のためなら、とどんな苦労も苦労と思わず乗り越えてきました。私の希望を子供に託すことも、我慢しなくてはいけないものなのだろうと思っています。子供の幸せを心から願うことが、親である私の生き方であり、子供は親から離れて自分の道をまっすぐ進むべきなのだと、最近は自分を納得させています。

そしていつか息子が親になったとき、私の今の気持ちや選んできた生き方に少しでも気づいたくれればいいな、と思っています。


子供の独立は寂しくて心配だけれど、信じて応援していかなくては!それが私に与えられたこれからの課題なのだと思います。

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健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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