こんにちは、oyumiです。
前回の記事:母との関係を断つことが、私にとっての自立だと思っていた/oyumi
59の母と、69の父と、春には25になる私との3人で静岡に暮らしています。
今回は「母と父の関係・その2人を見て思うコト」について、娘視点で綴っていきます。
さて、うちの母と父はすでに離婚しています。ちなみに親権を持っているのは母です。
ですがわたしたち3人は同じ家に暮らしています。細かく言うと、母の所有する一軒家に同居しています。
私の両親が正式に離婚をしたのは、私が15歳のとき。
その頃の私といえば、母と父の関係性なんてよく知りませんでした。
当時の私にとって母は「勉強しなさい」だの「掃除しない」だのうるさい存在で、一方父は外食に連れてってくれたり映画館に連れてってくれたりお小遣いをくれるサイコーな存在だったのです。私は父派でした。
そんな父派だった私ですが、ある日の出来事を目の当たりにすることで「自分の家庭環境が意外と悪い!」ことに初めて気付かされたのでした。
それは、中学2年生になった春のこと。父が突然仕事を辞めてきたのです。
「普通に働くなんてバカバカしい、株で稼げば十分だ!」
株というものを全く知らない私。野菜のカブのことかな?程度にしか受け止めていませんでした。これが2005年ごろ。
通わせてもらった塾のお金も父が出してくれたし、食事が急激に質素になった記憶も特にナシ。私にとって劇的に変わったことといえば、いつでも家に父がいることでした。
2006年1月、新年を迎えしばらくした頃、なにやらテレビが騒がしくなりました。覚えてる人はいるでしょうか、株式市場の暴落...通称「ライブドアショック」です。
父が株に手を出し仕事を辞めたのが2005年。実はこの時、「バブル再来か?」と期待されるほど株価の上昇が注目され、テレビでもその特集が組まれるほど株がブームになっていたのです。父はその波に乗っかって、見事飲み込まれたというわけでした。
ここから父と母の仲が急変します。
父は株で大金を損にしただけではなく、そもそも勝手に仕事を辞めた上、さらには所有していた土地を知らない間に売っぱらっていたことまで発覚。
せっかくその土地を売って父の実家をリフォームして家族で住もう!と母が計画していたのにも関わらず、そんなことを言っている場合ではなくなってしまいました。(当時、木造のアパートに私たちは住んでいました。)
色んな事実が積み重なって積み重なった結果、離婚へと繋がったわけでした。
私にはこの出来事が複雑すぎて、状況を理解するのに数年はかかりました。
そんなことがあったにも関わらず同居を再開したのはなぜかと言いますと......
離婚してから数年後、母は一軒家を買って引っ越し、もともと私たちが住んでいたアパートに父がそのまま引っ越しました。
離婚した後、父は私に一番気を許していたので、よくこっそりとご飯を食べに父の住む家に通っていたのです。お年玉ももらっていました。
そうして私が通ううちに母も一緒になって行くようになって、父も「いいよ」と言うので余った食材をもらうようになり、次第に仲を取り戻すようになりました。
とはいえ還暦も過ぎた父がアルバイトをしながらアパートの家賃を払い続けるのは大変。やや呆れ気味に同情した母は「その半額でいいから家賃を払ってくれるなら私たちの家に住んでもいいよ」という条件で父を家に迎え入れたのでした。
ところが、結局1度離婚したことがある(それどころか何度も別居してる)だけあって、現在は犬猿の仲。2回ほど大きな喧嘩をしてから顔すら合わせていない様子。
1度うまくいかなかった男女はやっぱり何度やり直してもダメなんだな、ということを両親を見て学ばされました。
逆にもっと早く離婚してもっとまともな男と再婚するという手はなかったのかな?と疑問を感じつつも、離婚を決断するのも結婚を決断する時と同じくらい覚悟がいることなのかもしれない......と若くして思いました。
父が今仮想通貨に手を出していないことを祈るばかりです!
次の記事はこちら:子が親から自立するとき。時が止まった家でゾッとして考えたこと
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平成生まれの24歳。2014年よりwebで漫画・イラストのほかコラムの執筆活動を始める。不真面目なものから真面目なものまでいろいろ描いてます。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
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