モラハラDV夫との異常な結婚生活を振り返っています。
いろんなことを乗り越えて、今やっと平穏な暮らしを取り戻すことができました。
本当に波乱万丈な結婚生活だったのですが、その中でも忘れられない出来事を書いていこうと思います。
【前回】モラハラDV夫が暴れるたびに家を追い出されていた私。その逃げ場所は.../chii
【最初から読む】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii
7年前の2月に、逃げ場所として借りたアパートは、元我が家から徒歩15分の場所にありました。
徒歩で引っ越しができるから、という安易な理由から近場を選んだのです。
自転車や徒歩で、夫の目を盗んで身の回りの物とコソコソと運びました。
コソコソと運び終えて、2組の安い布団も買って、これでいつ追い出されてもいいという状態にしておきました。
いつでも暮らせる状態になった時、夫は私が本気で出ていくことを察したのか、おとなしい期間が続きました。
俺を捨てないでくれと、弱気な発言に揺れに揺れた私でした。
でも所詮いつキレるかわからないモラハラ男。
機嫌の悪い顔をして帰宅した夜、些細なことでキレて、また物にあたりだしたのです。
2階に避難していた私と息子に出ていけと言いました。
もう逃げ場所が確保してある私たちは、無言で家を後にしました。
夜中に追い出されても、徒歩15分の場所を借りていたのが幸いしました。
借りたアパートは、ワンルームだったけれど、2畳くらいのロフトがあり、最初はロフトで息子が寝て、6畳の部屋で私が寝ていました。
逃げ場所として借りたアパートですが、そこで2日くらい過ごすうちに、もう家に帰りたくなくなってしまったのです。
ここで頑張って2人で暮らしていこうと気持ちが固まっていきました。
息子には、「ここで貧しい暮らしをするよりも、お父さんの所へ帰るのもありだよ?」と打診したところ、「帰りたくない」という返事が。
それから少しづつ、生活用品をそろえていき、中学へはそこから通いました。
新しい生活は、夫から逃げた安堵感よりも、これから息子と2人で生活が成り立つのかという不安の方が大きく、薄っぺらい布団をかけて、寒いのと不安でガタガタ震えていたのを覚えています。
家を出た後、中学校の卒業式と謝恩会があったのですが、保護者の方は着物をきたり、ブランドものを身に着けてビシッと決めていました。
私は自宅から持ってきた地味目の紺のスーツで出席しました。
息子は、公立高校に入学することが決まっていましたが、同級生のほとんどはエスカレーター式に私立高校に進む子ばかりです。
息子が公立高校に進むことは、あっと言う間にうわさになり、仲良くしていたママ友たちには、理由を根掘り葉掘り聞かれて戸惑いました。
「DV夫から逃げて、母子家庭になるから」なんて本当のことは言えずに、「息子の希望で決めたの、外の世界も見たいと言ってね」と適当にごまかしました。
謝恩会の席で、遠くから見た息子はとても寂しそうでした。
謝恩会に出席し、二次会に誘われましたが、断って帰宅。
もういろいろ聞かれるのが嫌でした。
夫と同居したままだったら、謝恩会に出席することもできなかったはず。
夕方や夜に外出するなんて、とんでもないことだったからです。
いつものくせで、早く帰らなきゃ、夫に怒られると時計ばかり見ていた私でした。
もう自由になったのに、です。
アパートに越してきて1週間過ぎた頃から、夫からジャンジャン電話がかかってくるようになり、まだまだ夫の影におびえる日々が続きました。
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