モラハラDV夫から逃げるため密かに準備したアパートへ。私と息子は無言で家を後にした/chii

モラハラDV夫との異常な結婚生活を振り返っています。

いろんなことを乗り越えて、今やっと平穏な暮らしを取り戻すことができました。

本当に波乱万丈な結婚生活だったのですが、その中でも忘れられない出来事を書いていこうと思います。

【前回】モラハラDV夫が暴れるたびに家を追い出されていた私。その逃げ場所は.../chii

【最初から読む】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii

モラハラDV夫から逃げるため密かに準備したアパートへ。私と息子は無言で家を後にした/chii pixta_81884465_S.jpg

7年前の2月に、逃げ場所として借りたアパートは、元我が家から徒歩15分の場所にありました。

徒歩で引っ越しができるから、という安易な理由から近場を選んだのです。

自転車や徒歩で、夫の目を盗んで身の回りの物とコソコソと運びました。

コソコソと運び終えて、2組の安い布団も買って、これでいつ追い出されてもいいという状態にしておきました。

いつでも暮らせる状態になった時、夫は私が本気で出ていくことを察したのか、おとなしい期間が続きました。

俺を捨てないでくれと、弱気な発言に揺れに揺れた私でした。

でも所詮いつキレるかわからないモラハラ男。

機嫌の悪い顔をして帰宅した夜、些細なことでキレて、また物にあたりだしたのです。

2階に避難していた私と息子に出ていけと言いました。

もう逃げ場所が確保してある私たちは、無言で家を後にしました。

夜中に追い出されても、徒歩15分の場所を借りていたのが幸いしました。

借りたアパートは、ワンルームだったけれど、2畳くらいのロフトがあり、最初はロフトで息子が寝て、6畳の部屋で私が寝ていました。

逃げ場所として借りたアパートですが、そこで2日くらい過ごすうちに、もう家に帰りたくなくなってしまったのです。

ここで頑張って2人で暮らしていこうと気持ちが固まっていきました。

息子には、「ここで貧しい暮らしをするよりも、お父さんの所へ帰るのもありだよ?」と打診したところ、「帰りたくない」という返事が。

それから少しづつ、生活用品をそろえていき、中学へはそこから通いました。

新しい生活は、夫から逃げた安堵感よりも、これから息子と2人で生活が成り立つのかという不安の方が大きく、薄っぺらい布団をかけて、寒いのと不安でガタガタ震えていたのを覚えています。

家を出た後、中学校の卒業式と謝恩会があったのですが、保護者の方は着物をきたり、ブランドものを身に着けてビシッと決めていました。

私は自宅から持ってきた地味目の紺のスーツで出席しました。

息子は、公立高校に入学することが決まっていましたが、同級生のほとんどはエスカレーター式に私立高校に進む子ばかりです。

息子が公立高校に進むことは、あっと言う間にうわさになり、仲良くしていたママ友たちには、理由を根掘り葉掘り聞かれて戸惑いました。

「DV夫から逃げて、母子家庭になるから」なんて本当のことは言えずに、「息子の希望で決めたの、外の世界も見たいと言ってね」と適当にごまかしました。

謝恩会の席で、遠くから見た息子はとても寂しそうでした。

謝恩会に出席し、二次会に誘われましたが、断って帰宅。

もういろいろ聞かれるのが嫌でした。

夫と同居したままだったら、謝恩会に出席することもできなかったはず。

夕方や夜に外出するなんて、とんでもないことだったからです。

いつものくせで、早く帰らなきゃ、夫に怒られると時計ばかり見ていた私でした。

もう自由になったのに、です。

アパートに越してきて1週間過ぎた頃から、夫からジャンジャン電話がかかってくるようになり、まだまだ夫の影におびえる日々が続きました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

chii

モラハラDV夫の家を飛び出し、7年目のchiiと申します。離婚には応じてもらえずに、現在も熟年別居中です。つい最近、共に暮らしていた大学生の息子が自立をして一人暮らしになりました。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、現在の一人の時間に幸せを感じています。別居直後から書き出した「60代小さく暮らす」お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」を書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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