子どもを連れて出かけた花火大会。帰宅すると夫に用意した夕食は無残に捨てられていて.../chii

モラハラDV夫の元から逃げて10年目の60代シングルです。

ちなみに離婚は成立しておらず、熟年別居中です。

【前回】親の遺産を独り占めして身内の縁を全て失った夫。挙げ句の果ての孤独なゴミ屋敷生活

子どもを連れて出かけた花火大会。帰宅すると夫に用意した夕食は無残に捨てられていて.../chii pixta_105781613_S.jpg

流行病が一段落し、今年はあたりまえのように花火大会が全国各地で開催されます。

花火の季節になると、良いことも悲しいことも思い出します。

悲しい思い出は、モラハラ夫と結婚してすぐのこと。

東京から友人が遊びにきて花火を見に行ったのですが、帰宅すると夫が超不機嫌になっていて、夕食を用意しておいたのに全部捨てられていたのです。

子どもが生まれてからも夜に外出は禁止で、なかなか花火大会は行けませんでした。

ですから、子どもたちを連れていったのはその時の一度だけです。

夫の夕食はちゃんと用意して出かけたのに、帰宅後は不機嫌になり、お風呂に入れてもらえませんでした。

「2階行け!」といつものように怒鳴られて、汗を流すこともできないまま、子どもたちと3人で川の字で眠りにつきました。

夏はクーラーも時間制限があり、扇風機をかけっぱなしで寝ていたのだけど、毎晩寝苦しくて、今思い出しても地獄だったと思います。

出かけると不機嫌になる夫が怖くて、いろんなことをあきらめるようになっていました。

その後、別居して自由になった私。

最初に見た地元の花火大会には、感動しました。

時間を気にせず、ゆっくり見ることができたから、大げさでなく涙があふれました。

一番の思い出は、娘と熱海の花火大会に行ったことです。

別居して一番の楽しみになっていた娘との旅行、2年めに行ったのは海が目の前のホテルで、最高の立地でした。

温泉に入り、浴衣を着て、ベランダで花火を見ました。

あちこちのバルコニーから、たまやー! わぁー! と歓声があがって、フィナーレはナイアガラ花火、それはそれは見事だったのです。

楽しかったなー、また行きたいと思った今年、娘を誘ってみたところ、断られてしまいました。

3歳と1歳の子を連れていく元気がないのと、仕事を休めるかわからないからという理由でした。

娘はもう、私と出かけるより、旦那さんと子どもと家族4人で出かけることを優先しています。

これはあたりまえのことで、喜ぶべきことなのですが、正直寂しい気持ちもあります。

東京に引っ越して、近所に住んでほしいと、娘夫婦には何回か頼まれたのですが、それをことごとく断り、地元に残った私です。

別居中の夫を見捨てることができないという理由から。

散々、モラハラを受け暴力を振るわれてきたのにです。

このような気持ちになったのは、夫の変わり果てた姿を見たからかもしれません。

あまりにも、憐れな姿になっていたし、夫から「おまえはとっくに東京へ越したと思った、まだ地元にいたんだね」と言われて、ここに残らなければと思ったのです。

そう決めていても、時々、寂しさに襲われます。

娘や息子、妹家族や兄家族、古くからの友人がいる東京へ、引っ越せば、こんなに寂しくはないかもしれない、そんなことを思うようになりました。

もし私が別居ではなく、離婚をしていたら、潔く東京へ行けたのかもしれません。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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chii

モラハラDV夫の家を飛び出し、10年目のchiiと申します。離婚には応じてもらえずに、現在も熟年別居中です。つい最近、共に暮らしていた大学生の息子が自立をして一人暮らしになりました。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、現在の一人の時間に幸せを感じています。別居直後から書き出した「60代小さく暮らす」お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」を書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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