<この体験記を書いた人>
ペンネーム:みわちゃん
性別:女性
年齢:61歳
プロフィール:自由奔放な母に振り回され続けていました。
今から6年前、父が亡くなって4年が過ぎ去ろうとした頃のことです。
母(当時77歳)に彼氏(当時67歳)ができました。
母はよくいえば自由奔放、悪く言えば自分勝手な人です。
美容にとてもこだわっていて、美顔器や高価な洋服をよく購入していました。
それなのに、私の成人式には「着物なんてもったいない」と渋り、同級生が振袖で参加する中、私はワンピースで出席しました。
普通の親なら、自分が節約をしてでも「娘の成人式には振袖を着せてやろう」と思うもの。
成人式に振袖を着ることが幼い頃からの夢でもあった私は、それを見事に踏みにじられ、今の年齢になってもトラウマのように怒りが残っています。
母はいいとこどりの人でした。
4歳下の弟、9歳下の妹の大学受験の付き添いや、2人の上京の準備もすべて私が行い、母は入学式に颯爽と現れるだけ。
結局、何もできない人だったようで、父の介護なんて当然無理。
一人では何もできませんでした。
私の母への怒りはパンパンに膨れあがっていましたが、母は何を言っても聞く耳を持ちません。
私も無駄は言い争いは避けるようにしました。
母の顔を見るだけでテンションが下がってしまうからです。
そんな母に年下の彼氏ができたのです。
彼氏(Aさん)と会う機会があったので、この際だからとはっきり言いました。
「私はもう母の面倒を見る気力がありませんけれど、大丈夫ですか?」
こんなことを言われたAさんは驚いたでしょうが、動揺することもなく「全部私がやります」と答えてくれました。
母は嫉妬心も激しいので、Aさんはいつも母につきっきりでした。
一緒にあちらこちらにも行ったようです。
しかし、高齢の母は少しずつ膝が悪くなり、杖をつき始め、歩行器も必要になりました。
人口骨の手術を勧められ、私たち家族は反対をしましたが、Aさんの並々ならぬ熱意から手術をすることとなりました。
私は手術には付き添いましたが、日々の介護とリハビリはAさんがすべて引き受けてくれました。
病院でもそんな例はなく、医師も看護師も身内でもない人間が面倒を見る姿に驚いていたようです。
母は、Aさんが来ないだけで機嫌が悪くなり、食事も手をつけず、リハビリもせず、看護師さんもほとほと手を焼いたようです。
無事退院し、母はその3年後、83歳で亡くなるまで、Aさんに食事を作ってもらい、旅行にも連れていってもらい...と至れり尽くせり。
Aさんは母を見捨てることなく、介護を続けてくれました。
こんな人は稀でしょうし、晩年にこんなに幸せに恵まれることも稀。
本当にすごいことだと思います。
私には母をこのように介護することはとてもできなかったと思います。
母に幸せな晩年をもたらしてくれたAさんには本当に感謝しています。
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