60年生きてきた結論――"友人"という人間関係は私には必要はない

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ペンネーム:maro
性別:男
年齢:60
プロフィール:3年間の教師生活を経てのち依願退職。現在は作編曲や自主企画を主な活動に据えフリーで活動中。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

私は小さい時から友人と呼べる人がおらず、現在に至っています。

父親がいわゆる転勤族で、小学校・中学校時代はほぼ2年間で転校するという状態が続いていきました。ですから、そんな状態で学校生活をおくっても、積極的に友達を作ろうという考え方が起こってくるはずがありません。おのずと、教室の中では静かで目立たない様に居ようという気持ちになっていきました。友達が居なくても学校生活は送れる、という気持ちが強かったのです。

そして転校生活が続き、中学校2年になって名古屋から川崎への転校が決まりました。いざ通い始めたのですが、それまでと違い、転校生というだけでいじめにあうようになりました。

いじめにあいながらも唯一救いとなったのは、音楽関係の部活動の中に吹奏楽部があったこと。この部活動に所属できた事で、心の拠り所が生まれ、何とか心を保ちながら音楽に活路を見出していけたのです。

しかし、友人関係を結ぶというよりは音楽の向上を目指していたため、演奏など注目してもらう事で自分の活力を生み出そうと無意識のうちに考えていたようでした。

そして中3になった私は、吹奏楽部の部長になりました。そこで危機がありました。

まず顧問の先生が転勤になった事で顧問が居なくなり部の存続が危ぶまれてしまったこと、そして他の部員とのコミュニケーションが足りずに一時は部員が辞めていってしまったことです。ですがひたすら自分だけを信じて行動していった事で、何とか乗り切りました。

この一年間の経験は、密かにですが自分に自信を与えてくれました。

その後、高校から大学までの7年間は、とにかくひたすら音楽技術の習得に努め、友人を作るというより楽譜と奮闘していた時間の方が多かったと言っても過言ではありません。殆ど一人だけで学校生活を送っていたというのが実態でした。

そうこうして大学を卒業し、社会人として第一歩を踏み出した先は教師という職業。この職業は他の教師とコミュニケーションが取れないと成り立ちません。これが尾を引き、いわゆる葛藤の連続でした。また、問題行動を起こす生徒に対しては、教師間の歩調を合わせ歩み寄っていく手法があるのですが、人との対話が苦手な私にはこれがかなり辛かったです。

コミュニケーションが苦手な私はこの葛藤の中から教訓を得ました。

それは、「人との信頼関係というのは、友人の多さとは関係がない」ということです。

信頼関係とは、色々な経験を通し築いていくもの。これを悟れたことが大きかったです。

フリーの音楽家となって活動している現在でも、やはり友人と呼べる人は居ません。しかし、学生時代から教師生活を経た中で積み上げてきた経験、そして現在の音楽活動の中で繋いできた人間関係が、自分の中で活きていると感じています。

私の周りにいるのは、友人ではなく、同志という言葉に近い人なのでしょう。

これからも、この考えのもと生きていきたいと思っています。

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