性別:女
年齢:73
プロフィール:いい年なのに、好きなことにすぐに興味をもってしまい、わたしの理想である素敵な落ち着いた女性とはかけ離れている、がさつなおばあさんです。今は趣味がいろいろありますが、一番は「お絵かき」です。そもそもの絵画との出会いとのめり込んだいきさつを、ご報告します。
物心ついたときから、絵を描くことが好きでした。中学3年の夏休みの自由研究に、友達と二人で「日本の歴史」と題した絵巻物を作りました。友達は説明文を、私は絵を担当しました。60年くらい前でしたので、ほとんど忘れてしまいましたが、平安時代のお姫様みたいな絵を描いたのを覚えています。
中学、高校の時は美術の先生に恵まれず、なかなか向上心は生まれないままでしたが、それでも、美術大学に行きたいと担任の先生(数学担当)に相談しました。すると、「予備校でデッサンを勉強しなければ無理」といわれ、家では姉に「食いっぱぐれないよう東京芸大のデザイン科にすすむならいい」と無理難題。早々に諦めました。
それから約30年後、48歳の頃のことです。市立高校の学校開放講座で、美術の先生が油絵の基礎を教えてくださるという新聞記事を見て、どうしても受けたいと思いました。38才で結婚して10年、子供はいません。仕事はしていましたが、家族である主人と義父に了解をもらい、申し込みをしました。楽しい3カ月でした。水彩は経験がありましたが、油絵は初めてです。絵具の種類とか、絵具のとき油、筆洗オイル、キャンバスと道具のこと、描き方手順、構図等々、いろいろ手ほどきを受けました。6回の講座で、静物画を一枚仕上げました。
その時の受講生は20人。受講後、そのままで終わるのはつまらないと皆で相談して、自主的に油絵の勉強をするグループを作りました。時間の都合で、金曜組と土曜組に分かれました。私は仕事の都合で土曜組に入ったのですが、人が集まらず、募集して何人かで始めて、受講した先生にも何回か来ていただいたのですが、そのうちつぶれてしまいました。
それでも、そのなかの二人は今でも付き合いがあり、また先生の弟さんの勤めている画材店に出入りしています。いいご縁ができた講座でした。
1年くらいたって、講座の友達から案内状をいただいたのでグループ展を見に行きました。彼女は地元のデッサン会にはいっているとのこと。羨ましくてすぐ紹介してもらい、入会したら、会員は皆ベテランばかり。気後れしましたが、平気な顔で仲間に入ってみました。毎週1回のデッサンと年2回の展覧会にも参加して、油絵も発表しました。
そのデッサン会で、私の絵画人生を変える出会いがありました。このデッサン会の指導者の方です。日本で有名な日本画公募団体の委員であり、美術大学教授を退職されて県展の審査員をされている方でした。肩書は立派ですが、実際はとても庶民的な、ユーモアのある先生。そして、根っからの絵描きであり、作品は素晴らしいものです。先生の初期作品から、現在の作品までを展示する回顧展を見て、びっくりしました。日本画の色の美しさ、構図のロマンチックさ、線の素晴らしさ!こんな作品はみたことありませんでした。私は、見た瞬間洋画をやめて日本画に切り替えよう!と決意しました。デッサン会には4年いたのですが、退会してすぐに日本画教室に入会しました。
先生には、「絵は線と丸と面、線は意思をあらわし、丸はリズム、面は色」と教わりました。ほかにも、「創造は人間が創り出すもの。こころに響くもの」とか......。先生が意図された本当の意味が分かっていたかはあやしいものの、ある時、今まで描いていた風景画ではなく、単純な抽象っぽいものを描いてみたところ、先生に絶賛されました。私は説明がきらいで、写実的なものは何描いているかわからないとか言われたりしていましたので、これでもいいのかなと少し考えが変わりました。
この絵画教室で10年描いた頃、残念ながら先生が少し認知症になられて教室が終わりになりました。しかし、この教室、そして先生は、わたしの人生の大きな転機になったと思います。
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