20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として暮らしてきた中道あんさん。でも50代になると、夫との別居、女性としての身体の変化、母の介護...と、立て続けに「人生の転機」が訪れます。そんな激動の中で見つけた「50代からの人生を前向きに過ごすためのヒント」。
誰よりも早く起きて、5人分のお弁当作り、朝食作り、洗濯、掃除、そして出勤。7時間働いて帰宅後も...「できる主婦」を理想としていた、40代の頃の中道あんさんは朝から大忙しでした。50代後半となった今は...
【前回】料理をしたくない日だってある! もったいないと思っても「楽する」ものを使っていい
【最初から読む】仕組みを作って安心。ひとり時間が多い親の見守り/中道あん
自分のことを負けず嫌いだとかプライドが高いだとか考えたことがありませんが、「できる主婦」になりたかったであろうことは間違いありません。
なぜなら「うちの料理はおいしい」「うちのママはキレイ」「いつでも友達を呼べる」という誉め言葉を子どもからもらうことを生きがいにしていましたから。
そんな私の40代の1日のタイムスケジュールはこのようなものでした。
まず、誰よりも早く飛び起きるようにして、階段を駆け下り1階のキッチンへと向かい、家族分のお弁当を支度する。
簡単手間なくなんて「できる主婦」の辞書にはありません。
揚げ物だってガンガン朝から作ります。
ご飯だって、お鍋で炊きます。
パート主婦だった自分の分も合わせると5人分のお弁当。
まるで夕飯一食分に相当します。
よく「これじゃ夕飯作りと同じだ」とため息交じりにつぶやいていました。
それが終われば朝食の準備。
パンにヨーグルトにフルーツという簡単なものでしたが5人となれば大変です。
リンゴ1つ剥くのでも面倒なのに1つじゃ足りませんから。
もともと果物はあまり好きじゃありません。
でも栄養面を考えると必要なのではないかと思い準備していました。
栄養管理は自分の仕事と思っていたので「食べさせる」ことに必死でした。
お弁当を作るために使った調理器具、朝食の食器をうまい具合に食洗機に押しこみ、今度は洗濯を干します。
大型自動洗濯機1回では間に合わず、2回分を回して干すなんてこともざらでした。
「できる主婦」は汚れ物をためない。
リビングのあちこちに家族が脱ぎ散らかした服を拾い集めて洗濯機の放り込む。
時計の針を気にしつつ、身支度を整え、軽く掃除機をかけて、最後の洗濯を干し終えて、いざ出勤。
そういえば、起きてから3時間以上ずっと動き放し。
職場には滑りこみセーフで7時間労働。
夕方家に着いたら塾に行ったであろう子どもの塾弁当を大急ぎでこしらえて自転車を30分以上走らせて塾に届けにいく。
これも、できるだけ温かいお弁当を食べて欲しいという、それくらいしか応援できないからという母心から。
戻ってきたら、家族のために夕飯の支度。
そして夜9時過ぎに最寄り駅まで塾帰りの子どもを自転車で迎えにいく。
時々、朝起きたらフラフラして廊下を真っすぐに歩けないこともありました。
家族のために高い理想を持ちながら、自分のための時間が全くないという現実。
それが今や自分ファーストです。
決して早起きではありません。
自分のために堂々と手抜きをするようになりました。
「できる主婦」なんてもう要らない。
朝ごはんは食べたい人が食べたいものを作る。
キッチンの営業時間は夜8時まで、それ以降は自分で食事を作る。
洗濯は溜まったらするので2日に1回。
なるべく畳むという作業を減らせるよう、ハンガー干しにして乾いたらそのままクローゼットにかける。
息子のYシャツにアイロンをかけてあげるサービスを撤廃。
皺になったYシャツを着ていくのかどうかは息子が決めればいいと思うことに。
床にものを置かないというルールを決め、散らかさない。
ホコリでは死なないと自分に言い聞かせ2日から3日に一回、掃除機と拭き掃除。
アートや雑貨は飾ると掃除が大変なので基本的に置かない、飾らない。
どんどん「手抜き」をすることで、以前の起きてから寝るまでのほとんどを家族のために使っていた時間が50代後半になって「ほぼゼロ」になりました。
それはやはり、自分のための人生を歩みたいと思ったからです。
時間だけは誰しも平等に与えられ、それをどう使うかは自分次第なのです。
家族のために自分のすべての時間を使っていたことを後悔することはありません。
ただ、もっと早く堂々と手抜きすれば良かったと思っています。
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