浮気を開き直られ...。双子を抱え、改心しない夫と離婚したときのこと

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ペンネーム:あき葵
性別:女
年齢:47
プロフィール:三人の子のママです。訳あって15年前に離婚して女手一つで子育てをしながら、出産と同時期に倒れた父の介護もしております。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

初めて出会った主人は、おとなしくてどちらかというと少し暗め、なんとなくみんなの輪の中で笑ってはいるんだけれど、どこか寂しそう、そんな印象でした。
友人の紹介で知り合い、お付き合いをすることになったのですが、毎日かかさず仕事を定時で終えて、私の所の会いにくるというのが日課となり、毎日我が家でご飯も食べていました。
私の行きたいところが自分の行きたいところ、私の食べたいものが自分の食べたいもの、といった具合で、なんでも私に合わせてくれていました。
「自分の意見よりも、私が楽しそうにしているのを見たい」というのです。
結婚してからも、毎日定時で帰宅して、共働きという事もあり家事掃除等を手伝ってくれました。土日の休みの時も率先して風呂洗いなどしたり、食事を作ってくれたりと誰もが羨ましがるような主人でした。
二人の時は本当にラブラブの夫婦でいられたのです。ところが、子どもが出来てから悲しい事にそれがだんだん崩れてきました。


多胎妊娠だった為、妊娠が発覚してすぐに体調が悪くなり、切迫流産と診断されて緊急入院を余儀なくされました。
その頃実家では、父親が脳こうそくで倒れ、親戚にも不幸があり、その上身内が病気で手術という不幸がかさなっていました。ところが、私の体に差し障るといけないと、そのような実家の窮状を知らされていなかったのです。入院はしているものの病気ではない私のお見舞いは後回しになっていたのですが、何も知らなかった為「誰もお見舞いに来てくれない」と一人悶々しながら不安な入院生活を送り、次第にストレスが増幅していったのです。そんな中、子どもの名前を考えてきてくれたりと、夫の訪問が唯一の楽しみでした。

その後、予定日より2ヶ月も早い出産になりましたが、母子ともに無事に退院する事が出来ました。
ところが、3ヶ月も寝たきりの入院生活をしていたので、歩行がまともにできなくなっていました。体力も衰弱し歩行もできない上に、「母乳は十分出るのだろうか」「ちゃんと双子を育てられるのだろうか」と不安で、しかもそのタイミングで父親の病気や親せきの不幸や色々な事を聞かされて、産後うつ状態になってしまったのです。


そんな時、事件はおきました。
主人の部屋を掃除しようと机を見ると、手紙が置いてありました。悪いと思いながらも手紙をチラリとみると、子どもの名前の候補がズラリと書いてあったのです。差出人をみると、聞いた事もない女性の名前。親しげな手紙は何通もありました。
ショックでした。
よりによって、自分の子どもの名前を他の女性に相談していたとは。そして知らずにそんな名前の候補を携えてお見舞いに来た夫に大喜びし、その中から名前をつけてしまった...。今思い出すだけでも、あの時のみじめな気持ちが思い出されます。

私は、手紙をびりびりと破いて知らん顔していました。そして夫は帰ってきて破かれている手紙をみても悪びれた様子もなく、別にいいではないかとひらきなおる始末でした。

双子なので、夜泣き・授乳、何でも2倍の時間を要して、うまくできない事にいらいらしていました。主人はたいていの家事はやってくれるのですが、育児に関してはノータッチ。
オムツも変えなければ、夜泣きをしてもピクリともしなかったのです。そのくせ疲れ切った私に、主人は平気で甘えてきて夜の生活をもとめてきたのです。とてもじゃないけれど、そんなところに余裕などあるはずもありません。

そのころの私は、育児ストレスと手紙事件をきっかけに、主人の顔を見るのも同じ空気を吸うのも嫌になっていました。電話では話せるのですが、主人が肩に手をおくのも気持ち悪くなっていました。自分でも説明がつかないその嫌悪感を、主人が理解できるわけもなく......。その態度が主人をだんだんと孤独に追いやって行ってしまったようです。

そのころからでしょうか、主人がまっすぐ帰らず寄り道をしてくるようになりました。
その後も、車が欲しいと言ってみたり、子どものことはそっちのけで、自分のやりたい事を主張するようになり、こちらが、育児に追われていてもお構いなしで、家事や育児に全く興味を示さなくなっていきました。


帰宅して、主人と話し合いましたが、あくまでも、浮気もしていなければ、仕事で遅くなっているだけで、問題はないそれよりも、最近私が構ってくれないと不満を漏らし始めたのです。


こちらも必死で、今の産後鬱状態を説明して、自分でもどうしようもない状態だから落ち着くまで待って欲しいと頼みました。
もし主人にそこで改心の様子がみられたなら、頑張れたかもしれません。
しかし、それからも一向に生活に変化がなかったのです。


離婚する気もなく浮気をやめるわけでもなく、悔しくむなしいく日々が過ぎて行きました。
しかしとうとう、夫が外泊。しかも、それを都度メールで伝えて来るようになり「あーもうこれは駄目だ」と私の中でぷつんと糸が切れました。


主人が寝静まった後、携帯電話の証拠を確保したあと、離婚をつきつけました。
主人の母からは最後まで離婚はしないでやってくれと頼まれました。
しかもわざわざ、相手の女性の所にまで乗り込んで話をしに行ってもくれました。
でも、私も育児に追われて疲れて、主人の事は考えるのが嫌で、もうくたくたでした。

子どもの事はどうするのかと尋ねると、「私が離すわけはないから俺があきらめる」と言いました。

その言葉が簡単に出た事に、私は驚きと落胆を隠せませんでした。

中学生の時に彼の両親が離婚をして、父親と会えなくなったという経験が、彼にそう決断させてしまったという事は間違いありません。でも、俺は絶対そうはならないと結婚前に宣言した事を忘れてしまったのでしょうか。残念で仕方ありませんでした。


私がおこした調停では、私と話をさせてくれとしきりに言っていたようですが、私は会って話すことを拒否しました。
その時に話を聞いていれば結果は違ったかもしれませんが、私にはそれを聞く気力がもうありませんでした。はやく、このごたごたから解放されたかったのです。


調停では向こうの歩がわるく、1回目の調停には顔を出しましたが、それからは二度と顔を見せる事はありませんでした。
養育費の取り決めをし、離婚という形になりましたが、養育費は15年たった今一度も払われることはありませんでした。

弁護士さんに相談しましたが、彼はその後すぐ会社を辞めてしまったようで、「裁判では勝てるが、ないところからはとれない」と言われ、諦めざるを得ませんでした。

今思うと、もっと他に方法がなかったのかと思いますが、その時は子どもたちの世話に追われていて、先のことまで考えられなかったのです。

もし離婚という道、それしか選択肢がないのであれば、離婚相談専門弁護士にちゃんと相談して、どうすればいいのか指示を仰ぐのが絶対に良いと思います。子どもを一人で育てるのは本当に大変なのですから。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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