性別:女
年齢:47
プロフィール:中学生、小学生、障害をもつ保育園児の3人の子どもがいます。自身は3年前に聴神経腫瘍で開頭手術を受け、現在は耳鳴りと左耳難聴の後遺症が残ったまま生活しています。収入を得る手段を模索しつつ、子どもたちとの生活を第一に考えて暮らしています。
私は、中学生の長女、小学生の長男、保育園児で障害を持つ次男の3人の子どもがいる47歳です。私がかかった聴神経腫瘍は、文字通り、耳の神経に腫瘍ができる病気です。ほとんどが良性の腫瘍で、私の場合は左耳に出来ていました。
37歳の頃、耳鳴りと聴力の低下を感じ始めかかりつけの耳鼻科に行きました。そこで医師が念のためにと、大学病院を紹介して下さいました。その当時勤務していた職場の同僚の友人が、偶然にも私と同じような症状で聴神経腫瘍と診断され手術をしたという話を聞いていたので、まさか・・・と、ドキドキしながらの受診です。MRIを撮ったところ、やはり私にも腫瘍があり、大変ショックだったことを覚えています。その当時はさほど大きくなかったので、経過観察を続けることになりました。
初診から半年たったころ、腫瘍が少し大きくなったことを受け、手術をすすめられましたが、第二子である長男の妊娠と重なっていたので出産を優先しました。その後、3年あいて次男も生まれ、昼夜問わずの育児に追われる中、自分のことは後回しになってしまいました。障害を持って生まれた次男がようやく落ち着いた3年前、44歳のときに、自身の腫瘍の状態を再び診てもらうことができました。最初に発見したときから、7年も経ってしまっていました。
自覚症状から、よくはなっていないだろうと覚悟しつつ、大学病院で再びのMRI。直径1ミリくらいだった腫瘍は、4ミリ程になっていました。即手術をすすめられました。子どもたちの世話のこともあり、最初はためらったのですが、ほっておいてもよくはならないし、聴神経と並行して走っている顔面神経まで腫瘍が到達してしまうと、顔面麻痺が出るかもしれないという怖い話を主治医からされ、迷っている場合ではないと手術を決意。14時間に及ぶ開頭手術を受けました。腫瘍は聴神経にくっついている部分のみを少し残したまま終わったようです。そこを取ってしまうと、聴力がなくなるとのことだったので、敢えて残したという説明を受けました。
術後は、吐き気、頭痛、肩の痛み、物が二重に見える、めまい、床ずれ、声帯麻痺、不眠など、数々な後遺症に悩まされました。術後は、実母が私の世話をしに来てくれました。70を過ぎた母に世話をしてもらうのが申し訳なく、病室のベッドで何度も泣きました。声帯麻痺のため飲み込みづらく、食事が思うように取れません。そのため回復がなかなか進みませんでした。主治医は、術前には2週間で退院できると言っていましたが、結局3週間入院することになりました。退院後もふらつき、めまいが酷かったのですが、育児、家事、夫の相手をしなければならず、ぎりぎりの精神状態で日常生活を送っていました。
そして、頭痛、左耳難聴(手術の甲斐なく、聴力はほぼ0になってしまいました)、耳鳴りだけは残ったまま、現在に至ります。片耳だけの難聴は、狭い場所でたくさんの人が話をしているときに、聞き取るのがかなり難しいです。以前の職場は、まさにこのような環境だったので、やむなく退職の道を選びました。
後日調べたところ、腫瘍が小さければ、開頭手術をしなくても治療が可能なのだそうです。「最初に発見したときに、ほかの病院にも行ってみればよかった」「腫瘍が小さいうちに手術しておけばよかった」今振り返ると、後悔はあれこれありますが、子どものためにも前を向くしかありません。でも、これを読んでいる方がもし耳鳴りと聴力低下が気になるようなら、早い段階で一度受診し、MRIを受けることをおすすめします。
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