<この体験記を書いた人>
ペンネーム:9周年!
性別:男性
年齢:42
プロフィール:IT系企業に勤務する42歳の営業マンです。
今から約22年前、私(現在42歳)が大学生の頃、自動車教習所に通っていたときの話です。
当時、ほとんどの車はすでにオートマでしたが、同世代の間では念のため免許はミッションで取るのが当たり前でした。
私もミッションで免許取得を目指していましたが、これが思いのほか難しく苦戦していました。
その当時、私を担当してくれた教官が強面の大男で、かなり横暴な態度を取る方でした。
ミッションの操作に苦戦していて、実技教習中にミッションの切り替えがうまくいかず、車が「ガクッ」となることが度々あったのですが、その度に教官に急ブレーキを踏んで止められました。
そして「はぁぁ~。何回言ったら分かるんかな!?」と呆れられ、実技教習がトラウマでなかなか上達しませんでした。
できないから練習しているのにそんなに目の敵にしなくても...という思いでした。
正直、恐かったです。
また、運転の心得として教えられたことが「え?」と思うことばかり。
「人は信じるな。全部疑え」
「子どもは飛び出す、老人は倒れると思え」
「事故ったら全部運転手のせいにされる」
などなど、理屈は分かるのですが、乱暴で問題にも思える表現を平気で使う方でした。
さらに、私に対する呼び方は「お前」だったと記憶しています。
「お前なぁ」とよく言われたのが頭に残っています。
教官からすれば、私は自分の子どもくらいの年齢だと思うので、気持ちは分からなくもないです。
でも「お金を払って習いに来ている人に対して、『お前』はないだろう」と感じたものです。
今ならすぐにクレームを言い、教官を変更してもらうところですが、私も学生でしたし、そんなことはできず、我慢するしかありませんでした。
その教官はもちろん許せませんが、そんな態度を許していた教習所の体制、教育方針もどうなのでしょうか。
同じお金を払って教習を受けるのですから、対応は一定に、他の人と不公平がないようにして欲しかったです。
その後、どうにか教習所は卒業できましたが、私はその教官にお礼を言う気になれず、あいさつもしませんでした。
当時の私にできた唯一の反抗でした。
今もその教習所は存在しますが、当時から改善されていることを切に願っています。
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