皆様こんにちは、『人生リセットできるかな?』の管理人"くるぴた"です。
【前回】繰り上げ受給した年金が大切な生活の支えに。だけど身内からは「予想外の反応」が

昔、母の7回忌の時に、末の弟が、上の弟にこんな話をしていました。
「うちのお母さんは皆に好かれてたよね。少なくともお母さんを嫌っている人は1人もいなかったよね」
上の弟は、そこまで同意すると言う風でもなく、曖昧に相づちを打っていましたが......。
横で聞いていた私は「血を分けた兄弟でも、一人ひとり見解は違うものだな」と思ったものです。
うちの父親は、飲む・打つ・買うで、家計にお金を入れず、たまに家族に暴力を振るう、絵に描いたような毒親。
しかし母親はけっこう毒の素養を持っているにもかかわらず、世間的な評判は悪くない人でした。
『夫のモラハラに耐えながら、頑張って家庭を切り盛りしている』
当時はモラルハラスメントという言葉はありませんでしたが、周囲の他人からの評価はこんな感じだったと思います。
確かにそれは正解で、母は次から次に父が持ち込むトラブルに苦労しながらも、家庭を成り立たせていました。
その代わり、育児はほとんどおざなり。
いわゆるネグレクトです。
特に上の子ほど、その煽りを受けていて、長女の私は後で思い返すとびっくりするくらい放っておかれたものです。
たとえば長女だった私の食事は、小学校に上がるまで、ほとんど白米と味噌汁だけ。
その後、弟が生まれて一緒に食事をするようになり、食生活は改善されていきましたが......。
また母は学校等の保護者向けのプリントを見ない人でもあり、保育園で実施された小学校の入学準備説明会に来ず、私が家まで走って呼びに行ったこともありました。
母の異常性に気付いた他人は、中学三年、高校一年、高校三年の担任の先生くらいしかいなかったと思います。
私が高校三年のとき、進学コースに進んで、一学期の終わりに行われた三者面談。
その場で、母に「えっ、進学? そんな予定ないんで、どこでもいいから就職させたいんですけど」と言われた担任の先生は、さぞや困ったことでしょう。
高校の就職シーズンはすでに終わった後です。
私も驚きました。
それまで、進路について一切話がなく、普通に統一テストも受けていたので、進学させてもらえるのだとばかり思っていたのです。
結局、私の最初の就職先は、新聞のチラシで求人募集をしていた中小企業。
進学はできなくても、せめて早いうちに就職しろと言われていれば、もっと希望が持てる就職先はあったはずなのですが......。
そんなのはお構いなしで「家にお金を入れるなら、就職先はどこでもいい」といったスタンスの母。
どれだけ娘に興味がなかったのかが、窺い知れます。
その後、母は、弟に対しては早いうちから就職コースを選ばせて、普通に就職させていました。
世間は広く、こんな話は結構ありがちかとも思います。
もっと辛い目にあった方は大勢いらっしゃると思います。
父母はどちらも鬼籍に入り、自らもイイ年齢になった今、改めて振り返ってみると、毒親の持つ毒には、「即効性」と「遅効性」の二種類があるようです。
子どもの頃は、絶対的な恐怖の対象だった父。
機嫌を損ねないように、小さくなって暮らしていました。
その父から、私たち兄弟を守ってくれているのが母だと思っていたのです。
しかし今、父を思い出すことはほとんどありません。
それに対して、どんなに時間が経っても、たまに記憶が蘇ってダメージを受けるのは、母の方。
たまにある暴力は、その場で大きな傷を残しますが、時間をかければ治っていくのかもしれません。
しかし絶え間なく、ないがしろにされ続けると、傷が小さくても回復する暇が与えられません。
そして思い出すことにより、当時の傷を自分で再現してしまうので、なかなか完治できなくなってしまうのです。
そうした状態から抜け出すには、まず意識から過去の記憶を追い出して、今ある楽しいことに目を向けること。
美味しいものを食べて、ゆっくり休んで、自分を大切に慈しむことです。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。




