夫による激しいDV、モラハラに耐えかねて家を飛び出して約10年。
夫が元わが家で孤独死してから、来月で1年になります。
【前回】元DV夫が亡くなり家を解体することに。思い出と共に全てが更地になって...

買い物中に見知らぬ番号から着信があったので無視していたら、息子から着信がありました。
めずらしい、なんの用だろうと思って電話に出ると、お父さんが亡くなっていたと警察から電話があったと。
その時点で、足がすくんで震えが止まらなくなったのを覚えています。
警察は私が電話に出なかったので、息子に連絡したのだと思います。
「すぐに警察に電話して」と言う息子。
とりあえずバスに乗って自宅に帰りました。
見知らぬ番号は刑事さんからだったようで、自宅からかけると「警察に来てください」と言われました。
震えが止まらなかった私は、「無理無理絶対一人で行けない」と思って息子に頼むと、まだ授業中だから行けないと冷たい返事。
娘にも連絡したけれど、同じく仕事中で無理だと言う返事でした。
足がすくんで動けなくなった私は、同年代の友人に連絡し、警察に連れていってもらうことにしました。
車で迎えにきてくれ、隣にいてくれ、どれだけ心強かったことか。
今でも彼女には感謝しています。
結果的に、私は夫とは対面しませんでした。
生前からボロボロの風貌になっていた夫。
死後5日経過ほど経過していたので、多少の腐敗もあったという。
見たら、倒れるかも?いや、一生その顔を忘れることはできなかったと思います。
あの日から一年近くたち、元わが家の売却も終わり、解体も済んで更地になっています。
すべてが終わったのです。
夫の後始末が終わったら、故郷東京へ帰ろうと決めていて、それを目標に生きてきました。
すぐに、住んでみたかったUR賃貸住宅の内覧に、2カ所行きました。
私が住めるであろう安めの家賃の団地は、駅からバスで20分ほど、東京の郊外でした。
夏に内覧したので、セミが大合唱し、部屋に入るとムッとした空気。
暑くてゆっくり見ることもできませんでした。
まず、エアコンをつけて、ガス台も買わないと、と頭の隅で考えつつ、内覧してもワクワクしない自分がいました。
とっさに思ったのは、東京の郊外では、子どもたちも身内も友達も誰も訪ねてこないだろうということ。
私の目的は、子どもたちに実家を作ってあげることだったのです。
いつでも帰ることのできる家を作ってあげたかった。
郊外では遠すぎて帰ってこないかもと考え、都内でマンションやアパートを探してみたのですが、2DKなんてとんでもない、ワンルームさえ10万近いところばかり。
そこで、現実を知った感じです。
でも、子どもたちの近くに住みたい。
近くに住めば、孫の面倒も見れるし、娘を助けることもできるだろうという思いは、なかなか捨てることができずにいました。
娘、息子に打診してみると、娘からは「ずっと住み慣れた場所がいいんじゃない」という返事。
息子からは「今でも会える距離なんだから、越してくる必要ないんじゃない」という返事。
子どもたちのこの返事で、私が近くに住むことを望んでいないと知ってしまった私です。
子どもたちに実家を作ってあげたい、子どもたちの近くに住みたいと言う老後の夢が、ガタガタと音をたてて崩れました。
裏を返せば、子どもたちは、親の私なんか必要ないと感じるくらい自立したということ。
喜ばしいことだと思いつつ、心の片隅にはすき間風がふきっぱなしです。
子どもたちが望んでいるのは、私がこれからの人生を楽しみ、いつまでも健康で、迷惑をかけずに生きることなのかと思います。
で、故郷東京に帰ることは断念。
海が近いトカイナカの地元に残ることを決めました。
これからはソロ活を楽しもうと思っています。
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