2016年5月の誕生日で50歳を迎えた君島十和子さん。
20代で活躍されていた女優時代からの美しさは、健在! 素敵に歳を重ねておられる女性の代表として、いまでも多くの支持を受けています。
「決断」をテーマにした本書『私が決めてきたこと』から、妻として、母として、働く女性として、がんばる女性を応援する君島十和子さんのメッセージを受け取ってください。
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女性を美しくする。これを、私の一生の仕事にすると決めました。
アメリカの著名な女性司会者に、オプラ・ウィンフリーさんという方がいらっしゃいます。数々の名言を生んだ彼女ですが、最近、私が知って、思わず頷(うなず)いたのが、
「幸運とは、努力がチャンスに巡り合うこと」
という強烈なワンフレーズでした。
「女性を美しくする」が使命の家に生まれた主人は、服飾だけでなく、いつか化粧品を扱うことも視野に入れて、皮膚科医の道を歩んでいたようです。一方で、自身の肌に悩み、極度のコスメフリークへの道を突き進んでいた私。
そんな2人が出会って夫婦となり、何かに導かれるように化粧品をつくりはじめたのは、ひとつの運命だったのかなと思うことがあります。オプラさんの言う通り、まさに、私たちの努力が、チャンスに巡り合ったのかもしれないな――と。
女性が美しくなる瞬間を共有できるのがうれしい
カリスマデザイナー兼社長だった義父が亡くなったあと、そのまま同じ業態継続は難しく、全国に26店舗あったKIMIJIMAのブティックは、四十九日を迎える前には10店舗に減っていました。フランス人のデザイナーを招致して、残った店舗で営業を続けることが決まったのは、義父の死から3カ月後のことです。
当時、新作のお洋服のお披露目をする際は、各地で受注会を行っていました。そのうちの1カ所で、義父の代からのお付き合いがあり、主人のことを息子のように思ってくださるブティックの社長さんが、「せっかくだから、(君島一郎の)お孫ちゃんも一緒に連れてきたらどう?」とお声をかけてくださったのです。
まだ1歳数カ月だった長女を連れて、主人の出張に同行し、私も受注会にお邪魔するようになりました。そのころの私は、ファッション業界や服飾についてはまだまだ素人同然で、会社のなかでは見習い修業中の身です。
「今の私にできることは、一体なんだろう?」
と気持ちばかりが焦っている状態でした。とはいえ、受注会の合間にお客様とお話しさせていただく時間は、それまで子育て中心で家に閉じこもっていた私にとって、社会に通じる始めの一歩であったことに違いありません。
生地や縫製のことはまだよくわかっていませんでしたが、
「この色のワンピースなら、メイクをこんなふうにするともっと華やかに見えますよ」
「このジャケットの形だったら、髪をまとめたほうが合いますよ」
とファッション誌のモデル時代に得た、自分なりの着こなしの提案をさせていただいたのです。
お客様も、私とのそうした会話を楽しんでくださったようで、やがて受注会のたびに、「あの奥さんのお話、また聞きたいから連れて来てね」とお声がかかるようになりました。
お客様と接しながら、私はいまだかつてない喜びを感じていました。お客様が新しいお洋服を着て美しくなり、表情が華やぐ瞬間を共有できることが、なんだかうれしかったのです。
こだわりのコスメを開発するチャンスに出会う
時を同じくして、私のコスメづくりが、密やかにスタートしました。きっかけは、各メーカーさんから送っていただいた大量の化粧品サンプルのなかに、残念ながら私の望みを満たす品がなかったことです。
紫外線によるトラブルを経験していた私は、UVクリームには並々ならぬ思い入れがありました。外出時はきっちりとUVクリームを使用していたのですが、赤ちゃんと向き合う生活のなかで、抱いている子どもが私の顔に触れたり手をなめたり、顔をくっつけてきたりしてきます。
もし、忙しいママでも簡単に使えて、保湿力が高く、肌のキメを整え、なおかつ赤ちゃんが触れても安心な化粧品があったら――。
主人にその思いを打ち明けたところ、主人の大学病院時代の上司である教授に相談させていただくこととなり、そこからUVクリームの開発がスタートしました。
当時このクリームを、商品化する計画はありませんでした。
作ってみたら自分でも満足いく品ができたので、受注会のお客様に喜んでいただきたくて、「もしよろしければ、お使いください」と試供品をお配りしていたのです。
なんと、これが大好評!
このとき私は長い間夢に見ていた、自分がイメージする化粧品に共感していただける喜びを、初めて体験したのです。
化粧品が心の底から好きな私にとって、スキンケア製品やメイク製品について学ぶことや時間を費やすことは、努力でもなんでもありません。けれど、もし、これが、世間でいうところの「努力」に当たるのであれば、お客様のご要望という「チャンス」をいただけたことは、何にも変えがたい幸運だったと思っています。
自分の居るべき場所を見つける
はじめてつくったUVクリームは、お客様の口コミでどんどん広まっていきました。やがて、お客様から、「これの前後に使うものがほしいわ」という要望をいただくまでになりました。
そのニーズにお応えさせていただく形で、UVクリームを落とすための洗顔ムースと、洗顔後にお肌を整える化粧水を開発しました。現在のFTCのスキンケアラインにつながる、私が本当に望んでいた化粧品が誕生したのです。
美容専門雑誌が続々と創刊されはじめたのも、このころです。それまでファッションのなかのほんの一部分として扱われてきた「美容」が、世間で大きく注目されてきました。このタイミングも、努力がチャンスに巡り合った、幸運な瞬間でした。
「女性を美しくする」
これを私の一生の仕事にする。そう決めることで、社会のなかで自分の歩むべき道、居るべき場所を、ようやく見出(みいだ)すことができたと感じています。
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君島 十和子(きみじま・とわこ)
高校在学中に「,85年JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれ、芸能界デビュー。1986年女性誌『JJ』のカバーガールを務め、同誌で専属モデルに。のちに舞台、テレビなどを中心に女優として活躍。結婚を機に芸能界を引退。2005年、20数年に及ぶ美容体験をもとに、化粧品ブランド「FTC(フェリーチェ トワコ コスメ)」を立ち上げ、20種類にも及ぶ製品ラインナップを開発。著書に『十和子イズム』(講談社)、『君島十和子の「食べるコスメ」』(小学館)、『十和子塾』『十和子道』(集英社)など多数。
『私が決めてきたこと』
(君島十和子/KADOKAWA)夢をあきらめたこと、大変だった子育て。すべてが「いま」につながっている―。 君島十和子さんが50歳になったいま、妻として、母として、働く女性として感じていること。「決断」をテーマにし、女性がしなやかに強く生きるための31の秘訣をまとめた1冊です。