諦めない。チャンスには全力以上で挑む/君島十和子「私が決めてきたこと」(5)

諦めない。チャンスには全力以上で挑む/君島十和子「私が決めてきたこと」(5) towako6.jpg2016年5月の誕生日で50歳を迎えた君島十和子さん。

20代で活躍されていた女優時代からの美しさは、健在! 素敵に歳を重ねておられる女性の代表として、いまでも多くの支持を受けています。

「決断」をテーマにした本書『私が決めてきたこと』から、妻として、母として、働く女性として、がんばる女性を応援する君島十和子さんのメッセージを受け取ってください。

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与えられた役割があるというのは、求められているということ。

今の自分にできることを、全力以上でやり遂げます。

頑張ってもなかなか成果が出ないことは、誰にでもあると思います。
女優を始めたばかりの私もそうでした。

JAL沖縄キャンペーンガールの期間を終えたあとは、雑誌『JJ』の専属モデルに。同時に、リゾートのキャンペーンのお仕事をするなど、タレントともモデルともつかない活動をしていました。

本来のんびりした性格で、とても器用とはいえない私にとって、個性的に自己主張したり積極的に前に切り込んだりしていくタレントの仕事は、難しいものでした。

そのため、堺正章さんや明石家さんまさんの番組のアシスタントをさせていただいたときも、ただニコニコと笑っていることしかできず、テレビのコメンテーターさんから「あれじゃセットの一部(スタジオセットの背景の絵)だな」と痛烈な批判を頂戴したことも......。

今でこそ笑って話せますが、当時は上手にこなせない自分に苛立ち、ストレスで円形脱毛症や摂食障害寸前にもなりました。

そんな私ですが、もともと好きだったお芝居の仕事もしてみたいという活路を考えるようになりました。やるなら本気でやってみたい。一歩を踏み出さなくては......!だから小さな演劇の研究所に通い、一から芝居の勉強をはじめたのです。

成果にこだわる女優のお仕事は、25歳ころから少しずついただけるようになってきました。はじめはトレンディドラマや、2時間ドラマの端役(はやく)、そしてNHKの連続ドラマなど、主にテレビでのお仕事です。

でも、私が自分で性(しょう)に合っていると感じたのは、幼いころから親しんできた、演劇の世界でした。納得いくまで役柄を突き詰めて、お客様の反応を直接感じながら全員で創り上げていく、舞台の仕事のプロセスが好きだったのです。

与えていただいた仕事に没頭しながら27歳を迎えるころには、1年の半分以上を、大好きな舞台のお仕事をして過ごせるようになりました。舞台と家の往復に、時々、京都で時代劇の撮影をする日々。女優として、毎日が楽しく充実していた時期でした。

もちろん、はじめからうまくいっていたわけではありません。日本舞踊や舞台の仕事に必要な素養がまったくなかった私は、「舞台が好き」という気持ちだけで、毎日のお稽古場へ向かっていました。

初舞台は、有名な歌手の方が座長を務める新橋演舞場。
忠臣蔵に登場する四十七士の一人、堀部安兵衛の妻という、大変重要な役どころをいただき、大きな見せ場もありました。

ところが、舞台稽古の様子が映った映像を見た私は、自分でも血の気が引くほどのひどいあり様。それまで、テレビカメラの前でしか演技経験のない私は、全身を使ってする舞台でのお芝居が、初日を2日後に控えていてもまったくできていなかったのです。

でも、仕事だから、逃げ出すわけにはいかない。責任があるのだから、何があっても結果を出さなければ。

私が成果にこだわるようになったのは、このころからです。
決して「早い気づき」ではありませんでした。

 

諦めない。チャンスには全力以上で挑む

上演期間中も、連日稽古を重ねました。ありがたかったのは、周りの皆さんが厳しくも丁ねいにご指導してくださったことです。皆さんからしてみれば、同じ舞台に立つことさえ恥ずかしいと思われていたに違いないのです。

でも、そこにすがるしかなかった私にとって、ご指導してくださった方々には、いただいた教えのすべてを我が身に刻むことでしか、感謝の気持ちをお返しする術(すべ)がありません。

そしてこのとき、同時に感じたのが、自分さえ諦めなければ、導いてくれる人や、熱意をわかってくれる人と、必ず出会えるということです。不器用で飲み込みの悪い私が、なんとか人並みにできるようになるには、人の3倍。いえ、5倍10倍の努力をしなければ追いつけません。

それでも、「与えられた役割」があるのは、求められているということです。こんなにありがたいことはありません。そこに自分の役割があるなら、周りの力をお借りしてでも、すべての力を尽くして結果を出すまでやり遂げる。私はこのとき、そう決めたのです。

迎えた千秋楽で、主演の役者さんに、「こんなにヘタでダメだったところから、1カ月でこんなに上達した女優は、はじめて見たよ」と言っていただいたときは、情けないやら申し訳ないやら。それでもやっぱり嬉しいお言葉でした。

 

諦めないこと。

与えられたチャンスには、全力以上で挑むこと。言い訳も説明もなし。与えられた責務をまっとうしてこそ、次があるのです。

 

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君島 十和子(きみじま・とわこ)
高校在学中に「,85年JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれ、芸能界デビュー。1986年女性誌『JJ』のカバーガールを務め、同誌で専属モデルに。のちに舞台、テレビなどを中心に女優として活躍。結婚を機に芸能界を引退。2005年、20数年に及ぶ美容体験をもとに、化粧品ブランド「FTC(フェリーチェ トワコ コスメ)」を立ち上げ、20種類にも及ぶ製品ラインナップを開発。著書に『十和子イズム』(講談社)、『君島十和子の「食べるコスメ」』(小学館)、『十和子塾』『十和子道』(集英社)など多数。

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『私が決めてきたこと』

(君島十和子/KADOKAWA)

夢をあきらめたこと、大変だった子育て。すべてが「いま」につながっている―。 君島十和子さんが50歳になったいま、妻として、母として、働く女性として感じていること。「決断」をテーマにし、女性がしなやかに強く生きるための31の秘訣をまとめた1冊です。

 
この記事は書籍『私が決めてきたこと』からの抜粋です

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