宝塚の夢をあきらめた後悔は絶対に忘れない/君島十和子「私が決めてきたこと」(4)

宝塚の夢をあきらめた後悔は絶対に忘れない/君島十和子「私が決めてきたこと」(4) towako12.jpg2016年5月の誕生日で50歳を迎えた君島十和子さん。

20代で活躍されていた女優時代からの美しさは、健在! 素敵に歳を重ねておられる女性の代表として、いまでも多くの支持を受けています。

「決断」をテーマにした本書『私が決めてきたこと』から、妻として、母として、働く女性として、がんばる女性を応援する君島十和子さんのメッセージを受け取ってください。

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踏み出さなかった後悔より、飛び込んでからする後悔を選びます。

人生における、はじめての大きな決断。たいていの人の場合、それは進路を決めるとき。社会人になるときではないでしょうか。私の場合も、そうでした。今の私につながる、人生初の大きな決断は、大学進学をやめたこと。JALのキャンペーンガールになる道を選んだことです。

オーディションを受けたのは、高校3年生の夏でした。当時は女子大生ブームもあって、キャンペーンガールや雑誌のモデルなど、華やかなアルバイトをする女子大生がたくさんいました。なかでも、航空会社のキャンペーンガールといえば、のちに芸能界で活躍する方々をたくさん輩出する、いわば登竜門的存在でした。

そんな華やかな場所で自分が合格するとは思ってもみませんでしたが、好奇心から
「'85JAL沖縄キャンペーンガール」のオーディションを受けたところ、まさかの合格!

ただ、問題は進学のことでした。私の両親は、将来の大学進学を見据えて、幼稚園から大学附属の学校に通わせてくれていました。高校3年生といえば、大学への推薦をいただくタイミングです。

このとき、高校側から「学業を第一優先としない生徒を推薦できないので、進学するのであれば、一般受験をしてください」と通告を受けて、大学進学か、キャンペーンガールの道か、どちらか一方を選ばなければいけなくなりました。

でも、当時の私に迷いはありませんでした。なぜなら、「今度は絶対、後悔したくない!」と思っていたからです。

 

夢中になった宝塚歌劇

後悔というのは、「宝塚」のことです。私は幼いころから、宝塚歌劇の大ファン。音楽を聴いたり、お芝居を観たりすることも好きで、祖父母に手を引かれて、歌舞伎座や帝国劇場にたびたび連れて行ってもらっていました。

そんな私が、宝塚に出会ったのは小学校高学年のとき。友人に誘われて行った日比谷の東京宝塚劇場で、『ベルサイユのばら』の舞台を目にして、壮麗で華やかな世界にすっかり魅了されてしまいました。

のちに、たくさん観劇したなかでも、夢中になったのが『風と共に去りぬ』です。映画を観てはいましたが、まだ中学生だった私には名作の魅力を充分に理解できない部分がたくさんありました。それが、宝塚の舞台ではわかりやすく、美しく表現されていて、心から感動しました。

舞台で観た、スカーレット・オハラの強く凜とした姿は、今も私の憧れです。宝塚の世界にのめり込むにつれて、「自分も宝塚歌劇団に入って、あの舞台の一部になってみたい!」と考えるようになったのは、ごく自然なことでした。けれど、そのころの私は、大切な決断をすべき場面で、二の足を踏むところがありました。肝心なときに、躊躇してしまうのです。

ある日、思い切って母に「受験してみたい」と切り出すと、「宝塚は、歌やダンス、日本舞踊のできる人が入るところだから、今からではもう間に合わないのでは?」と。ですが、諦めきれずに、宝塚を受験するためのレッスン教室に電話をかけると、「とにかく一度、見学にいらっしゃい」と明るく対応してくださったのです。

それなのに私は行きませんでした......。
尻込みして、一歩を踏み出しませんでした。

電車を乗り継げば小一時間で行けることもわかっていたのに、躊躇してしまったのです。そんな自分がうとましく、逃げた自分と向き合いたくなくて、とうとう観劇することからも遠ざかってしまいました。

その後、宝塚音楽学校を受験できる年齢を過ぎてから、自分がいかに宝塚に憧れていたかを思い知り、あのとき一歩踏み出さなかったことへの後悔が、自分のなかに残ったのです。

 

「やらなかった後悔」が拭い去られることはない

正直に言えば、JALのキャンペーンガールに合格したときは、その後、芸能界に入ることなど視野に入ってはいませんでしたし、モデルや女優になれるとも思っていませんでした。でも、踏み出さなかった後悔が拭い去られることは、永遠にありません。

だったら、やらずに諦めてする後悔よりも、飛び込んでからする後悔を選ぶと決めました。宝塚受験を逃したことへの後悔が、私を突き動かしたのです。

「とにかくチャレンジ! あとのことは、やってから考える」という私の向こう見ずな性格が培われたのは、間違いなく、宝塚受験をしなかったことが原因です(笑)。でも、とにかくやってみるというこの性格が培われたからこそ、美容家としての今の私があります。だからやっぱり、踏み出さないよりも、飛び込んでからする後悔を選びたいのです。

 

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君島 十和子(きみじま・とわこ)
高校在学中に「,85年JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれ、芸能界デビュー。1986年女性誌『JJ』のカバーガールを務め、同誌で専属モデルに。のちに舞台、テレビなどを中心に女優として活躍。結婚を機に芸能界を引退。2005年、20数年に及ぶ美容体験をもとに、化粧品ブランド「FTC(フェリーチェ トワコ コスメ)」を立ち上げ、20種類にも及ぶ製品ラインナップを開発。著書に『十和子イズム』(講談社)、『君島十和子の「食べるコスメ」』(小学館)、『十和子塾』『十和子道』(集英社)など多数。

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『私が決めてきたこと』

(君島十和子/KADOKAWA)

夢をあきらめたこと、大変だった子育て。すべてが「いま」につながっている―。 君島十和子さんが50歳になったいま、妻として、母として、働く女性として感じていること。「決断」をテーマにし、女性がしなやかに強く生きるための31の秘訣をまとめた1冊です。

 
この記事は書籍『私が決めてきたこと』からの抜粋です

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