鶏をさばく祖母に大泣きした幼い日。心に残る田舎の匂いと祖父母の優しい笑顔

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ペンネーム:あめゆじゅ
性別:女
年齢:54
プロフィール:昨年の秋に認知症でパーキンソン病をもった父(85歳)を呼び寄せ、親子三代で暮らしています。

もう半世紀くらい前の話になるでしょうか。

父の里は山間の小さな集落で、当時の私たち親子が暮らしていた街からは、移動だけでも半日くらいかかる隣の県にありました。

主要駅から急行に乗り、途中でローカル線に乗り換え、降車駅からは一本道ですが30、40分ほどバスに乗ります。今でも電車で行けば5時間はゆうにかかる、そんな場所です。

父は、お盆とお正月には必ず里帰りをする人でしたので、私と一つ違いの兄もずいぶんと小さい頃から、父の里(田舎と呼んでいました)に帰省したものです。
父は長男だったので、私たちは祖父母にとっては初孫。一緒に暮らしていなくても、いとおしく思ってくれていたのだと思います。

昔の田舎のことですから、家で牛や鶏を飼っていました。電気はありましたが、水道やガスはなく、庭にある井戸から長いロープの先に付けた桶で水を汲むような昔の生活。お風呂は薪をくべて焚いていました。

私たちが帰省すると、遠くから帰ってきたということもあり、祖母が鶏をさばいてご馳走してくれます。山間の田舎のことです。本来鶏をさばくのはいわゆるハレの日。ハレの日でなくても、遠くから帰省した私たちのためにご馳走を作ってくれるのです。

しかし、その鶏をさばく様子をみて、ものごころ付いた私たちは「鶏がかわいそうや~」といってふたりして大泣きしたのです。高度成長期とはいえ、私たちの住む街は都会だったので、鶏肉は売っていても生きた鶏は売っていません。さばく様子を見たのも初めてで、子ども心にショックだったのだと思います。

「おまえらにご馳走しちゃろうと思うとったのに」と私たちの様子に驚いた祖母も大泣きです。幼稚園に行くか行かないか、そんな年の子が2人して泣くのですから、その様子は祖母にとって、とても切なかったのではないかと思います。
田舎の広い庭で3人で大泣きした、そんなことがありました。

私は鶏をさばく様子は覚えていますが、泣いたことは覚えていませんでした。一つ違いの兄は鮮明に覚えていたので、大きくなってからの笑い種になりました。

今、あらためて思い返してみると、祖母は今の私の年齢より若かったと思います。祖母はお嫁さん達からも好かれる心根の優しい純粋な人でした。

鶏の卵になる前の黄身ばかりがつながった「キンカン」と呼ばれる部位を食べた記憶があるので、今から思うと鶏は卵を採るために飼っていた雌鶏です。卵を採るために飼われていた大事な雌鶏を私たちのために潰す(田舎ではそう呼んでいました)のですから、私たちは本当に大事に思われていたのだと、今更ながらに感謝の気持ちがあふれてきます。



電車とバスに揺られて行っていた父の里。今でも同じ場所に家はありますが、とっくに世代は変わり、田舎の匂いと祖父母の優しい笑顔は、私の記憶の中だけに留まっています。

◇◇◇

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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