道端のレジ袋をネコと見間違い、セルフレジに緊張する「六十路」。群ようこの日常エッセイに溢れる共感

つまずきながらの毎日は、当然容易いことばかりではない。だけれども、自分が大切にしたいことを見失わなければ、毎日は、ささやかながらも豊かな時間になる。愛猫を見送り、ひとり暮らしになった群ようこさんのエッセイ『六十路通過道中』(群ようこ/集英社)を読んでいると、ふとそんなことを思った。

※この記事はダ・ヴィンチWebからの転載です。

道端のレジ袋をネコと見間違い、セルフレジに緊張する「六十路」。群ようこの日常エッセイに溢れる共感 六十路通過道中

描かれているのは、古稀が目前となった群さんの至って普通の毎日だ。だが、軽妙な語り口で綴られるその日々に触れているうちに、不思議と朗らかな気持ちにさせられる。たとえば、「外ネコ探しとテラスの足跡」は、ネコ好き、動物好きならば、ついニヤニヤさせられるだろう。群さんは2021年に、27年ぶりに引っ越しをし、住空間を2/3に減らしたが、引っ越して以来、外を歩いているネコを一匹も見ていないことを不満に思っていたという。しかし、ある時、自宅のテラスに外ネコのものと思われる足跡を発見。外ネコの訪問に興奮した群さんは、それからというものの、毎朝、シャッターを上げるときには、どきどきしながら、テラスを隅から隅まで眺めていたらしい。このエッセイを読むと、その時の弾む気持ちがこちらまで伝わってくるかのようだ。また、ネコの痕跡と思われるものを見つけても、「私は以前から、空き地の隅にレジ袋が転がっているのを見て、白ネコがいると勘違いしたり、赤ん坊の泣き声や何かがきしんだ音をネコの鳴き声と間違えたりしては恥をかいていた」という群さんの失敗談にも、同じネコ好きの私は「ああ、同じ失敗したことある」と、ついクスクス笑わされてしまった。

そう。この本ではともすれば、坦々と過ぎていきそうな毎日の中に楽しみを見つける群さんの姿に惹きつけられるのはもちろんのこと、彼女の失敗や苛立ちにも、「分かる分かる」と頷かされてしまうのだ。どの世代の人にも経験がありそうなエピソードもたくさんあるが、特に"六十路通過道中"にいる群さんの、年を重ねたからこそのエピソードには、「そう感じていたのは、私だけではなかった」という安心感さえある。なかなか納得できる美容院に出会えないストレスや、使い慣れた財布を買い替えなければならなくなった時の困惑、振り込め詐欺へのしつこいほどの注意喚起に感じる腹立たしさ。セルフレジに出会した時の「くくーっ、まさかこんなところでセルフレジに出くわすとは」なんて嘆きにはつい吹き出してしまうし、鏡に映る自分を見て「ぎゃっ、見事にばあさんじゃないか」と感じた時の衝撃は、悲しいかな、私にも身に覚えがある。手足がカサカサと乾燥しても、こまめな手入れは、性に合わずなかなか出来ないのも分かるし、「どういう行動がおばさん」と勝手に定義づけしてくるネット記事にムッと来ることにも共感。群さんは、日々のそんなモヤモヤを面白おかしく、そして、鮮やかに描き出すのだ。

幼い頃は何でも上手くいくような感覚があったが、年を重ねていくにつれ、そう上手くはいかないことは痛いほど実感していく。だけれども、自分が好きなことを大切に、信じた道を進んでいけば、決して悪いことばかりではない。この本を読むと、自分が心地よく感じる時間をもっと大切にしたいと思えてくるし、日々感じてきたモヤモヤは、おかしみへと昇華されていく。年を重ねていく私たちの強い味方になってくれる1冊だ。

文=アサトーミナミ

 
六十路通過道中

『六十路通過道中』

(群ようこ/集英社)

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