これまでも多くの作品で、海に面した街を背景に、人々の心情を豊かに紡いできた喜多嶋隆氏。同じく港町を舞台にした「潮風キッチン」シリーズ(角川文庫)で著者が描くのは、日の当たる場所からこぼれ落ちてしまった者たちが、人とのつながりを力に、少しだけ前に進む物語だ。
※この記事はダ・ヴィンチWebからの転載です。
『潮風テーブル(角川文庫)』(喜多嶋隆/KADOKAWA)
『潮風テーブル』は、『潮風キッチン』『潮風メニュー』に続く、シリーズ3作目。湘南・葉山にある海辺のシーフード食堂「つぼ屋」の若き店主・海果と親と離れて海果と暮らす中学生の愛が、おいしい料理を作り、味わいながら、周囲の人々と共に、ほろ苦くも穏やかな日々を丁寧に生きていく。
今作ではそんなふたりに、台風で自宅が損壊したり、近所に安さが売りのイタリアンチェーン店がオープンしたりといったピンチが降りかかる。工夫を凝らして食堂を切り盛りしながら、自らの人生や恋にも向き合っていく。とある出来事から野球選手を引退した漁師の一郎や、自分のアイデンティティに悩む人気俳優の慎など、ふたりを囲む人物たちも、転機を迎えていた。
海果は、規格外のため市場で捨てられる魚や、形が悪く売れない野菜をおいしい料理に生まれ変わらせ、悩める人の背中を優しく押す。「潮風キッチン」シリーズが描くのは、そんな食材と同じように、「普通」から外れたことで生きづらさを抱える人々の再生だ。今作でも、子どもの貧困や、行き過ぎた効率・コスト偏重主義など、社会の片隅で生きる人々を苦しめる問題が描かれる。
著者の持ち味であり本作の最大の魅力でもあるのが、人物たちの瑞々しい会話だ。決して饒舌ではないが、もがきながら強く生き抜こうとする人々が交わす言葉が切実で、彼らの苦しみや決意がじんわりと伝わってくる。大切な人と離れる苦しみや、自分の生きる場所への迷いなど、誰もが経験する思いだけでなく、日頃は意識しづらい世の中の問題も、読者のすぐ隣にあるテーマとして胸に響いてくる。
しかし本作を貫くのは、湘南の朗らかな空気と、登場人物たちの明るさだ。潮風が吹き抜ける港町の描写はさわやかで、おっとりした海果と、しっかり者ながらたまに失敗する思春期まっさかりの愛の会話が可笑しい。時に事件は起こるものの、本書が描くのは、些細だが尊い日常の一コマたち。そこには笑いと思いやりが満ちていて、読者は、登場人物のシビアな現実に苦しくなる瞬間はあれど、「どうにかなるさ」というポジティブな気持ちで物語に浸れる。
中学生、20歳前後、中年に差しかかった大人世代といった、さまざまな世代の葛藤を描いているのも本書の特徴。登場人物の背景や事情も本書内で触れられているので、シリーズの前2作を読んでいなくても楽しめる。気持ちの良い潮風を頬に受け、日頃の煩わしいあれこれを「まあ、いっか」と思える瞬間のように、すべての悩める人に優しく寄り添う1冊だ。
文=川辺美希